六月二十八日(火)・三題噺
        お題:黒・ショートケーキ・浴衣
作者:まるり




 今日はとても暑かった。日中の熱をもったアスファルトは、歩くだけでも生気を吸われる。夏休み真っ盛りだというのに、受験生には『休み』なんてものはなく、毎日学校だった。
「ただいまぁ」
 少し伸ばすように声を出して、引き戸を開ける。中からはもちろん声はない。今日は夜まで誰も居ない。イコールそれは、私にとって何をしてもよい日だということだ。
 私は二階の自室に荷物を放り投げ、セーラーをかけるのもそこそこにシャワーを浴びに風呂場へ向かう。
 タンタンタンと階段をおりて、左手に曲がる。脱衣所で汗をぐっしょり吸った衣類を洗濯機にいれ、蛇口をひねると――。
「ほおぉ」
 勢い良く飛び出した水が、火照った体をじんわりとほぐしていく。
 一通り洗い終えると、私は日ごろ使わないボトルへと手を伸ばす。『特別』な時にしか使わないそれは、他のボトルたちの奥へとしまわれていた。適量プラス一滴を手にとり、髪につける。
「今日は特別、だから」
 しゅわしゅわという音とともに、甘ったるい香りが辺りをみたす。するり、するり。指どおりのよく、深い闇のような髪は、私の自慢だった。

 お風呂から出ると、少し日が緩やかになっていた。結構時間が経っていたらしい。丁寧にブラッシングをして、少し駆け足に二階の自室へと再び戻る。
 たんすの上から三段目にしまわれているものを、私はそっと持ち上げた。若干防虫剤のにおいが鼻をかすめる。ゆっくり、つつんでいる紙をほどいていけばそこには――色とりどりの蝶たちが踊っていて。
 麻でで織られたそれに、そっと袖を通していく。今日のために、着付けの本を買ったのだ。覚えているはずの内容なのに、ベットの上に置かれた本を再度見ながら慎重に薄地の布を羽織る。
 ゆっくりと帯を後ろへと回せば、完成だ。鏡の前に立つと、そこにはあでやかな蝶の浴衣で着飾ったもう一人の自分が、結い上げられた髪の上にあるかんざしをちりんと揺らしていた。これから祭りに行きたいところだが、あいにく今日は祭りの日ではない。
 最終チェックを終え、一階へと向かう。台所の隅にある冷蔵庫を開け、本日のお目当てを手にとる。
「ハッピーバースデー」  自分のために買った、小さな小さな白いケーキ。ちょこんとのった苺に思わず口元が緩むのがわかった。
 今日は特別な日だから。だから、大好きな浴衣を着て、大好きなケーキで自分にご褒美。親が帰ってくるまであと数時間。別途にお祝いしてもらえるだろうが、これはまた別だった。
 縁側に腰掛け、ゆっくりとフォークを口に運ぶ。――チリン。夜の空気を伴った風が、優しく私を包んだ。

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