七月五日(火)・設定小説
        お題:人が人に触れてはならない世界
作者:奈月 遥




【水溜り姫】

 昔々、一つの小さな国がありました。その国は魔法を扱うお妃さまによって護られていました。
 そのお妃さまには、一人のお姫さまがいました。まだ幼く、とてもかわいらしいお姫さまは、将来ぜったいに誰よりも美しくなるだろうと、みんな口をそろえて言います。そしてお妃さまも、その愛らしいお姫さまを溺愛していました。
 ある日、お妃さまは夢を見ました。お姫さまがお妃さまを捨てて、一人の男性と恋に落ちる夢です。そしてそれは、魔法の力による予知夢であり、そのことはお妃さまにもはっきりとわかりました。
 そこでお妃さまは、お姫さまが決して恋に落ちないように、一つの魔法を国中にかけました。それは、人が人に触れると溶けて水となってしまう魔法です。
 そして、その国では誰も他人に触れられないままに年月が過ぎ、お姫さまも大変美しい乙女になりました。
 お姫さまは毎朝、森の泉まで水を汲みに行きます。これはお妃さまの魔法に必要なもので、お姫さまはお妃さまの役に立ちたくて、自分からこの仕事をしているのです。
 その日も、お姫さまは水を汲みに森まで来ました。しかしその帰りに、一人の青年が怪我をしているのを見つけました。
 とても驚いたお姫さまは、その青年に駆け寄って様子を見ます。青年の息は浅く、お腹には大きな傷があります。近くには弓矢が落ちているので、きっとこの青年は狩人なのでしょう。
 お姫さまも少しですが、魔法が使えます。青年の怪我も、なんとかお姫さまの魔法で治せそうなものでした。
 お姫さまは泉の水を少し、青年の傷に降りかけます。そして魔法の呪文をお姫さまが唱えると、ゆっくりとですが青年の傷が治っていきます。
 やがて、青年が目を開きました。まっすぐな狼のような灰色の瞳です。
 その瞳を見た瞬間、お姫様の頬が赤く染まります。一目惚れでした。
 お姫さまがそのまま固まっていると、青年は慌てて頭を下げました。この美しいお姫さまは領民すべてが知っているのです。
 お姫さまは、かまわないから顔を上げるように言います。
 青年が顔を上げると、やはり、綺麗な灰色の瞳がお姫さまを見返してきます。
 お姫さまは、傷が心配だからお城に来るように青年に言いました。青年に有無を言わせない強い口調です。
 そうしてお城に連れて来られた青年は、あろうことか、お妃さまにお目通りまでしてしまいました。
 しかし青年の驚きはこれだけでは済みませんでした。
 なんとお姫さまは、この青年と結婚したいと、お妃さまに言ったのです。
 当然、お妃さまはそれを許しません。
 何人かの兵は、お妃さまに呼応して青年を捉えようとします。
 しかしお姫さまが青年を導いて、青年を巧みに逃がします。
 やがて、お姫さまと青年は中庭に追いつめられます。
 お妃さまは懸命にお姫さまを説得しますが、お姫さまは聞き入れません。
 お姫さまは、お妃さまに微笑みを向けます。今にも泣き出しそうな微笑みでした。
 そして、お姫さまは、青年を抱き締め、口付けました。
 すぐに二人は水となってしまいました。
 そしてそれは混ざり合って一つになりました。

終わり

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