六月十四日(火)・プロットから小説を書こう
        お題:ももたろう
作者:よねきな




 ある日の事である。一人の老婆が、新宿を闊歩していた。老婆は独り出稼ぎに来ているのであった。老婆の住む村は高齢化が進み、雇用が一切なかったのである。
 しかし、都会にも雇用は無かった。近年の不景気の波は都会を押し潰さんとしているのだ。田舎から出てきた老女に、雇い主が見つかる由もない。彼女は、自らを養うことすら難しかった。
 陸離たる新宿を彷徨う薄汚い姿は、餓え切り、やつれ果てていた。最早餓死を待つばかりであった。
 光輝とした商店街に差し掛かった所で、老女は倒れ臥した。限界であった。齢七十の身に、三日三晩飲まず食わずというのは、思いのほかこたえるものであった。
 老婆が意識の手綱を手放そうとしたその時、ひとつの音が聞こえた。それは一般的に言うのであれば酷く醜悪だった。しかし、老いた女の耳には、救いをもたらす福音に相違なかったのである。
 その音に活力を得た老婆は、音のした方を向いた。そこには、ひとつの桃があった。そして、その先には八百屋の主人がいた。彼の、慈悲だった。
 老女はその日を、尊い八百屋のおかげで生き長らえたのであった。
 翌日のことである。桃の礼を言おうと先の八百屋へ向かった女は凄惨な光景を目にしていた。
 真っ先に目に付いたのは、黒山の人だかり。何事かと思い、人を掻き分けた末にあったのは、血みどろだけであった。主人は軒先であの桃ように成り果て、骸を晒すだけだった。
 老女は、不条理を覚えた。この歳になってまで、体験してこなかった悪意に、憤怒していた。拳を握りしめ、血が滲む程に唇を固く結っていた。
 それより数刻の後、街頭のディスプレイが八百屋の惨劇を伝えていた。そうしてそれが、「鬼」と呼ばれ、恐怖されている、地元の暴力団による犯行だということも。
 老婆は、道端に在った百円硬貨を、自らの意思と共に凶器へと変えた。
 まず、食料として犬を喰うた。百円包丁で仕留め、生のまま喰らった。
 次に、「猿」と呼ばれる――その身のこなしから、そう言われるのだ――情報屋を、金融会社から借り入れた金で雇った。彼は銃器の入手ルートを知っていたから、銃も用意した。安価で入手できるAk-47――世界で最も人を殺した銃器だ――である。
 最後に、「猿」と共に晩餐をとった。質素な作りの店で出た料理は、雉であった。まるで桃太郎の様だと、笑った。喰られた者らは、老女の中で確固たる力となった。


 そうして、「鬼」事務所の前へと至った。刻は深夜、周りには風の音だけが在った。
 出ていた月が、雲に隠された時、一身上の復讐は始まった。
 事務所の窓に、手製の火炎瓶を投げ入れる。瞬く間に火の手が上がり、事務所からはあわてふためいた暴力団員たちが飛び出してきた。
 馴れぬ手つきで、Akの安全装置を外す。夜闇に鈍く光る銃口を見たとき、団員たちは目を見開いた。
 マズルフラッシュ。迸る轟音が、夜に響く。
 命を乞う者もいた。しかし、八百屋のそれを踏み躙った者らに、7.92mmの鉛弾以外が与えられる筈もなかった。


 一夜にして、事務所は謎の壊滅を被った。
 鬼は滅びた。
 「桃太郎」の役割を担った老婆は、事務所に残された多額の金を手にし、今は故郷でひっそりと暮らしているという。

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