旅先にて 東郷英治
「こんなに……広かったのか」
初めて目にする光景に、思わず息を呑む。自分が立っているガケの下には、一面の大海原。だが、僕の目に映ってい
るのは海ではなく、その上にあるものだ。
「こんなキレイな海は、むこうじゃ見らんないな」
僕の家も、僕の通う学校も、周りが高い建物ばかりなので、いつでも空はせまい。この近くの海岸には何度か遊びに来
たことがあるが、こんなに空が広く見える場所があるとは知らなかった。
「よっこらしょっと」
バッグを枕にしてその場に寝転んだ。照りつける太陽、潮の香りを運んでくる風、絶え間なく続く波の音。僕はすっかり
いい気分になっていた。
「ずっとここに居られたらいいのにな」
家でも学校でも、面白くもない勉強の成績を上げることしか言われない毎日。
そんな生活がイヤで、これまでに何度も学校をサボった。もちろん今日もサボリだ。
僕は体を起こし、もう一度あらためて空を見つめた。そしてふと思いついたことを口にする。
「ここから飛び降りたら、気持ちいいだろうな」
飛び降りてしまえば、うんざりするような毎日から一瞬で解放される。空に溶けこみ、雲のようにずっと自由でいられる
のだ。
僕は立ち上がり、ガケの先端に立った。不思議と怖いという気持ちはない。今にも空に吸い込まれそうだった。
「――やめた」
僕はあることに気がついた。今ここから飛び降りてしまったら、二度とこの空を見ることはできないのだ。この空がたっ
た一度で見納めになってしまうなんて、僕には耐えられない。生きてさえいればいつでも来れるんだから、見たくなったと
きにまた来ればいい。
「……腹減った」
携帯の時計を見ると、すでに十二時をすぎていた。確かここへ来る途中にラーメン屋があったはずだ。
「よし、行くか」
バッグを拾い上げ、僕は来た道を歩き出した。