精霊は心に住みて
風谷光司




 青々と茂った、広葉樹の森の中。

 四人と、一体の化け物が対峙している。

 木漏れ日を閃かせて銀の刃が薙がれる。赤黒い液体が噴き出す。

「al……de……els……」

 痛みにうめき声をあげながら、大人の胴ほどもある腕が振りおろされる。大ぶりな攻撃は空を切ったが、もし当たったな

ら人のカタチを保ってはいられないだろう。

「vena……dio……」

 体勢が崩れたところに、三本の短剣が飛来する。貧弱な刃はダメージにこそならないが、注意を引くには充分だった。

豪快に腕が振るわれ、それらを叩き落す。そこに大きな隙ができる。

 私はここぞとばかりに詠唱を完成させた。

「zect!」

 声に応えて、土色の子供が地面から具現化する。生物のようで生物でないそれは、召喚者である私を見た。

「大地の精霊よ、荒れ狂う石のつぶてを!」

 精霊はその姿を無数の石に変えると、化け物に向かって四方八方から襲い掛かり、好き放題暴れまわる。

 石の嵐が終わる頃には、化け物は体中を鮮血で染めていた。あからさまに動きが鈍っている。

「いまだ!」

 瞬時のうちに切迫した影に、化け物は反応することすらできず。

 一閃。

 巨体は一拍の間をおき、ゆっくりと傾いで、低い音を立てて倒れる。

 私たちは勝利を確認すると、晴れやかに互いの健闘を笑顔でたたえあう。

 ――と、なるはずだった。

 はずだったのだ。



「わははははははは!」

 今私に向けられているのは、賞賛とかといったものとは似ても似つかない、無遠慮で無神経な笑い声だった。

「……そんなに笑わなくてもいいじゃない」

「だってお前、『荒れ狂う石のつぶてを!』とか言っといてあれはないだろあれは。ガキのキャッチボールでももうちょいマシだぜ」

「む〜」

 私のイメージどおりにいったのは、精霊が出てくるところまでだった。出てきた精霊は、石のくせに私の意思なんか完全

に無視で、やったことといえば落ちていた石を一個軽く投げただけ。その後問題なく倒せたからいいようなものの。

 私の魔法が未熟という、ただそれだけのことなんだけど、こうも笑われると腹が立つ。気のきいた言葉なんて思いつか

ないので、私は手に持っていた杖を力任せに投げつけた。身軽さが売りの細身の身体は、いとも簡単にそれをかわす。

「危ねえだろ、おい」

「何よ、そっちが悪いんでしょ」

「おいレジー、そのへんにしておけ」

 さすがに見かねたのか、長身の青年が私たちの間に割って入った。

「今日はこの辺で休むから、危険がないか調べてきてくれ」

「へーい」

 仕事を与えられては口答えもできない。口をとがらせながら、レジーが引っ込む。

「はい」

 彼は杖を拾うと、笑いながら私に返してくれた。しかめ面で受け取る自分はなんだか子供みたいで、恥ずかしくなった。

「明日の昼には着くはずだから、今日はゆっくり休んでおこうな」

「うん。ありがと。お宝、いっぱいあるといいね」

「ああ」

 私たちは遺跡やなんかを巡ってはお宝を探したり、怪物なんかで困ってる人を助けるのを生業にしている、いわゆる

「冒険者」というやつだ。もちろんそんなに簡単な仕事じゃない。まだ駆け出しでしかない私が無事でいられるのは、頼り

になる三人の仲間がいるからに他ならない。

 剣士のアルベル、通称「リーダー」。盗賊のレジー。司祭のティア。

 リーダーは王国騎士のスカウトがあるぐらいの実力があるし、レジーの馬鹿だって同業者からは「様」づけで呼ばれる

ようなカリスマだし、ティアは大きな国でも百人といない司祭の称号を持っている。成り行きとはいえ、なんでこんな人た

ちのパーティーに私なんかが入ってしまったのか、考えたことは一度や二度じゃない。思わずため息が漏れる。

「どうした、元気がないな」

「う、ううん。そんなことないよ」

 あわてて取り繕った笑顔を見つめられ、顔がほてってくるのが自分でもわかった。

「顔も赤いようだし。おいティア、ちょっときてくれ」

「あ、だ、大丈夫だからそんな」

 頭の上に、大きくて暖かな重圧。

「今日はもうゆっくりしてくれ、な」

「……うん」

 リーダーは帰ってきたレジーと協力して、てきぱきと野宿の用意を始める。その様子をぼうっと見ていた。

 かっこいい。

 なんと言うかもう、悔しいぐらいにかっこいい。

 そう思えば思うほど、自分の未熟さが情けない。一人前に見られてないのも明らかだし。

「はあ〜あ」

「はい」

 うつむいた顔に湿った感触。顔をあげると、ティアが優しい笑顔で濡れタオルを差し出していた。

「とりあえず、汗を拭いてすっきりしてくださいな」

「うん、ありがと」

 汗のべたべたをふき取ると、夕暮れ時の風がいっそう気持ちよかった。

「さっきの怪物はこの辺りの主だったみたいですね。縄張りの関係上、今晩は他の動物も寄ってこないと思います」

 それだけの力のあるやつを、たった三人(私は除く)で倒してしまうんだからすごい。

「私、役に立たないなあ」

「そんなことはないですよ。リーシィのおかげで水に困らないですむんですから」

 こぼれた愚痴に、間髪いれず入るフォロー。

「まあ、それはそうなんだけどね」

 私はベルトにつってある皮袋を開いた。中から、青い軌跡を描いて小さな女性型の精霊が具現化する。

「こんにちは。ディーネさん」

 ティアが律儀に腰を折る。腰までが半透明に実体化している精霊は、偉そうに胸を張っている。

 水の精霊ウンディーネ。通称ディーネ(レジーには「安直」と言ってやたらと笑われた)。精霊使いは、契約により一種類

の精霊を常に支配下においておくことができる。確かに彼女がいる限り、私たちが水で困ることはない。

「ご飯にしますので、お願いできますか」

「うん。ディーネ」

 ティアが持ってきた鍋に、ディーネが飛び込む。トビウオのようにディーネがまた姿をみせると、鍋一杯に水が張られている。

「ありがとうございました」

 何が悲しいって、私は料理すらまともにできないことだ。芋の皮をむけば指を切るし、お湯を沸かそうにも火がおきる前

に日が暮れる。せめて薪を、と思ったらもうリーダーとレジーがたっぷり拾ってきていた。

 無力感でもう、いやになる。

 と、私の目が見逃せないものを確認した。リーダーの引き締まった腕に走る裂傷。気づいたときには駆け出していた。

「リ、リーダーそれどうしたの」

「ん……ああ、これか。さっき枝にひっかかれてね」

 はは、と頭をかくリーダー。私の中で首をもたげてきた何かに従って、リーダーに詰め寄る。

「治したげる!」

「いや、大したことはないから」

「だめ、ばい菌が入ったらどうすんの。ほら座って」

 言っても引き下がらないと思ったのか、リーダーは苦笑して、

「わかったよ。じゃあお願いしようかな」

「まかせて!」

 私はコップに水を一杯入れると、ディーネに向かって詠唱を開始した。

「lu……dia……misc……」

 ディーネの中で、「水」という存在に含まれている「生命」という性質が増幅されていく。簡単に言えば魔法の薬に変わっていくのだ。

「ve……ulfa」

 詠唱は終了。後はディーネがコップの水に入って、その性質を移せばいい。

 ディーネを促して、コップの中に入らせる。コップの水はその性質を変え、はじけた。

「うわっ」

「ひゃっ」

 すごい量の水が噴き出て、辺りを水浸しにする。私はそれほどでもなかったけど、リーダーはびしょぬれになってしまった。

 予想外の出来事に、理性が飛んだ。

「こらあ! 何してんのよディーネ!」

 ヒステリックな叫びに、レジーとティアも何事かとこっちを見る。

「私そんなことしろって言ってないでしょ! なんでこんな」

 よりにもよって、彼に向かって。

「リーシィ、これぐらい大したことは」

「あるの!」

 なだめようとしてくれたリーダーにすら声を張り上げる。そのくせ彼を直視できなくて、すぐにディーネに向き直る。ディ

ーネはいつものように無表情で、何を考えているのか少しもわからない。

「なんで言うこときかないの! なんでうまくやってくれないの! なんで? どうして? ねえ! なん、っ」

 変なとこから声を出したのと、しゃくりあげるので、うまく息が出せなくなる。

 息苦しくてあえいでいると、ティアが背中をさすってくれた。立ちすくんでいる私の背中を押して、一緒にその場から離れる。

 リーダーのケガは、跡形もなく治っていた。



 小さな私は泣いていた。

 悲しいことがあって、誰も助けてくれなくて。

 誰もいないところを歩いて。

 着いたのは森の奥の小さな泉。

 涙が出なくなるまで泣いた。

 気がつくと空は暗くなっていて、怖くなってまた泣きそうになって。

 誰かの声が聞こえて、涙が止まった。

 木々の梢がさわさわと揺れていて。

 吹き抜ける風はひんやり冷たくて。

 月明かりできらきらと光る泉の中に、きれいな女の人がいた。

 お母さんみたいだと思った。



「ん、ん……」

 最初に目に入ったのは真っ赤な火。ぱちぱちと音を立てて揺れていた。それを囲むように、みんなが毛布にくるまって

眠っている。

(寝ちゃってたのか、私)

 あの後。

 誰も何も言わずに夕食が進んで、ごく自然にみんなが寝る準備を始めた。

 私はなぜともなく見張りを買って出て、何を考えるでもなくぼうっとしていた。そのうちに眠ってしまったらしい。見張りも

何もあったもんじゃない。

(懐かしい夢だったな)

 私が始めて精霊に会ったときの夢。

 思えばディーネと契約したのも、あの時に会った水の精霊が印象に残っているからだ。だから契約が成功したときは本

当に嬉しくて、我ながら恥ずかしくも名前までつけたのだった。

 脇に荷物と一緒に置いてある皮袋。ディーネはその中におとなしくおさまっている。

「なんであんなことになっちゃうのかな」

 普通、契約した精霊は精霊使いとより強く結びつくため、一時的に召喚する精霊より融通がきく。精霊使いの意思に反

することもめったにない。

「やっぱり私、才能ないのかな」

「今さら何言ってんだか」

 右手に会った毛布が身じろぎして、私のほうを向いた。

「レジー、起きてたの?」

「俺の耳はお前なんかの百倍は敏感なんだよ。まだぐずぐず言ってんのか」

「ん……」

 あいまいな返事にレジーはおおげさに息を吐く。

「あのなあ、お前みたいなひよっこが、まともに役に立とうなんて考えること自体間違ってんの。ちょっとやそっとでいちい

ち落ち込んでんじゃねえよバカ」

 さすがにちょっとムッときた。間違ってはいないけど、もうちょっと言い方があると思う。

「そんな言い方ってないでしょ。そりゃあ、レジーたちは強いからいいだろうけど」

「お、言ってくれるじゃねえか。お前こそ口の聞き方気をつけろよ。俺たちが生半可な修行でここまでになったと思ったら大間違いだぞコラ」

 しまった、と思った。口調こそいつものままだけど、なんとなく怒らせてしまったことがわかった。

「お前、マジに強くなろうとかうまくなろうとか思ってるのかよ」

「そ、それは思ってる、けど」

「けど? けどなんだよ。けど強くなれませんてか。なめんな」

 見抜かれている、と思った。

 心のどこかにある甘えとか、あきらめとか、そういったものが全部見透かされている。だから私は言葉を返せない。

「お前泣きながら倒れるまで剣振ったことあるか。悔しすぎて胃の中のもん全部戻したことは。それ以外のこと考えられ

なくなるぐらい本気で、悩んで、考えて、苦しんだことあるか。マジってのはそういうことだぞオイ」

 ごめんなさい。

「言い訳も何も通用しないんだよ。けど、とかなんとかほしがんねえんだよ。マジの自分ってのは、そう『できるようにな

る』こと以外必要としないの。それ以外のこと考えてる時点でお前はマジじゃないわけ。わかる?」

 ごめんなさい。

「マジでやってないくせしてマジの人間に文句つけんのか。ふざけんじゃねっての。そもそも同じ土俵に立つ資格すらない

わけで、」

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ

いごめんなさい。

「ん、あー、まあ要はあれだ。俺様なんかは天才だから、お前なんか足元にもおよばねえってこと」

 レジーはしゃべりすぎたと思ったのか、よくわからないオチをつけると私に背中を向けて、寝る体勢に入った。

「わかったらさっさと寝ろ。明日寝不足で足引っ張ったら承知しねえぞ」

「……うん」

 言われるままに私は横になった。後ろからでもレジーが不服そうな顔をしているのがわかる。

「レジー」

「あん」

「ごめん。らしくないことさせちゃって」

「るせえ。さっさと寝ろ」

「うん」

 目を閉じる。すぐに眠気がやってくる。

 荷物の横で、皮袋が水音を立てていた。



 油断だった。

 それも、決してやってはいけない部類の。

 遺跡を調べ尽くし、やることは終わったと、思い込んでしまった直後の惨事。私だけでなく、ティアも、レジーも、リーダー

も、事が起こるまで気がつかなかった。

 最も速く反応したレジーが、一撃で戦闘不能になった。私をかばって炎の直撃を受けたのだ。ティアが『癒しの奇跡』を

かけているけど、二人ともしばらくは動けそうにない。

 現れたのは火喰いトカゲが三匹。いくらリーダーでも、そう相手しきれるものじゃない。私も魔法で援護するけど、大き

な効果はない。

「ティア、レジーはまだか!」

「やってます!」

 初めて聞く仲間の切迫した声。相変わらず私は役立たずだった。なにしろ炎の力が強すぎて、それ以外の精霊が力を

発揮できない。

 そう広くない室内は炎につつまれてすごい温度になっていて、じっとしていても体力が失われていく。ディーネに命じて

そこら中に水をまいてるけど、ほとんど効果がない。

「せやっ!」

 膠着状態で、ジリ貧だった戦況が、リーダーの一閃で変わった。ダメージを与え続けていた一匹の首を、リーダーの剣

が切り飛ばしたのだ。

 リーダーの腕前なら、二匹ぐらい、少なくともレジーが復帰するまでもたせることができる。安堵したそのとき。

 一匹の目が、後ろに控えている私に向いていることに気づいた。

「リーシィ!」

「え」

 大きく口が開く。炎が吐き出される。

 避けられない。

 ゆっくりと、赤く染まっていく視界。

 そこに膜がかかった。青い、半透明の膜。

 私を見る、こんなときでも無表情な。

 初めて出会ったときと同じ。



私、リーシィっていうの

あなたの名前はね、

ウンディーネだから、

ディーネ

 ディーネ。



   はじけとんだ。

 炎はかき消えて、代わりに体中にふりそそぐ、火のように熱い水。

 それらも一瞬で蒸発し、後には何も残らない。

「ディー、ネ」

 つぶやく声に、答えはなく。

「うわっ!」

 私に気をとられたためか、リーダーが攻撃を受けていた。

 火喰いトカゲが嬉しそうに鳴き、口腔に火を集め始めている。

 力が、欲しかった。

 強くなりたいと思った。

 心の底から。

 目から血が出そうなほど、内臓全部を吐き出しそうなほど、四肢をもいでしまいたいくらいに。

 なんとかしたいと、思った。

「うわあああああああああ!」

 咆哮に、精霊が応えた。

部屋中を埋め尽くしていた、炎の精霊が、一斉に力を解放した。

 火喰いトカゲが噴いた炎はもう、私の支配下にあって。

 逆巻いた怒りはその眷属すらも焼き尽くす。

 強く、激しく、ひたすらに赤く。

 炎の渦が荒れ狂い、後には何も残らなかった。

 頬を、熱い水が伝って落ちた。



「sana……lu……tis……」

 森の奥で見つけた小さな泉。

 夕方に始めた儀式も佳境に入り、水面には月が映っている。

「nela……qwes……」

 だんだんと高ぶってくる気持ちを抑えながら、一言一言丁寧に詠唱をつむぐ。

「……で、わかってて仲間にしたのかよ、オイ」

「何のことだ」

「道理でひよこを飼うのにやたら熱心だと思ったよ」

「何を言ってるのか、さっぱりわからないな」

 後ろでリーダーとレジーが何か言ってるみたいだけど、よく聞こえない。

「ま、何でもいいけどよ」

「……一つ言えるのは、」

「ん?」

「見た目より彼女は、努力家だということかな」

「……やっぱ聞いてやがったかこの野郎」

「名演説だったな」

「ちっ……ん、終わったか」

 詠唱を終え、目を開く。泉の上には月明かりを受けてきらめく精霊。

「こんばんは、精霊さん。私、リーシィっていうの」

 精霊は無表情のまま、ゆらゆらとたたずんでいる。

「あなたの名前は、ウンディーネだから、ディーネ」

 一歩進み出て右手を差し出す。

「これからよろしくね。ディーネ」



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