メイド達の午後
こうひいみるく




 閉ざされた秘園に、小鳥の囀りが染み透る。赤、白、黄……色とりどりの薔薇が春風に優しく揺れる中、少女は野兎を

脇に侍らせ、軽やかな寝息を立てていた。滑らかな白金の髪に、白雪の肌。淡い印象を与える容姿に、侍女の証の黒服

が、鮮やかな色彩の対比を生み出していた。

「リチェったら、またお昼寝?」

 人の声に野兎が、そっと退場する。緑の下草を踏み締め現れたのは、眠る少女とお揃いの服を着た、栗毛の女性だ。

リチェと呼ばれた少女より、年は三つ、四つ上だろう、伸びやかな肢体は若々しさを、利発そうな漆黒の瞳は知性を、そ

れぞれ感じさせる。

「ほら、起きなさい。また叱られるわよ」

 彼女はリチェを揺り動かすが、魔法でもかけられたように目覚める気配が無い。

「悪い子。また白雪姫の真似?」

 栗毛の女性の呆れた溜め息に、リチェの唇が微かに綻ぶ。その表情は明らかに笑っていた。

「もう、起きてるくせに」

 童話では、姫君の眠りはキスによって醒まされる。苦笑しつつも栗毛の女性は、その唇を、リチェの頬へと押し当てた。

「う……うん。ああ、義姉様、貴方が魔法を解いてくれたの?」

「もう、白々しいんだから」

 軽く睨み付ける栗毛の女性に、リチェは思い切り背筋を伸ばし、微笑み返した。



 ガラスの花瓶の中、慎ましく咲くのは百合の花。館の食堂に集まった数人の侍女達は、純白のテーブルクロスの上に

お菓子を並べ、午後のティータイムを楽しんでいた。

「義姉様、クリーム頬についてる」

 悪戯っぽく笑い、リチェが顔を寄せる。柔らかな舌が頬を舐める感触に、栗毛の侍女、メイは頬を染めて微笑んだ。

「ふふ、ありがとう、リチェ」

 メイは今年で十七、リチェは十二歳。ほぼ同じ頃、屋敷に引き取られた二人は、実の姉妹以上に仲睦まじかった。

「あら、リチェこそ鼻の頭についてるわよ」

 リチェの頬を優しく包み込み、そっと、舌でクリームを舐め取る。リチェは子犬のように無邪気に笑って言った。

「えへへ。義姉様、うれしい!」

 その無垢な表情に、メイは、胸が面妖な心地で掻き乱されるのを感じた。

(私……この子に何を感じてるのだろう?)

 実の姉妹でも、いや、そもそも少女同士では持ち得ないはずの感情なのは確かだ。部屋を満たす、百合の薫りのせい

にしておこう。そう決めて、メイはリチェから顔を離した。

 と、壁に掛けられた大時計が、休息の終わりを告げる、厳かな音を響かせた。それを合図に侍女達は、掃除に片付け

に、それぞれの仕事へ戻っていく。

「それじゃ、メイ。お嬢様の分のおやつ、お願いね」

「は、はい」

 仲間の声に、メイは我に返り慌てて答える。

(そうだ、私には……)

「えーっ、義姉様。もっと遊ぼうよ」

「駄目よリチェ、少しは皆を手伝いなさい」

 むくれるリチェの頭を、笑って撫でてあげ、

「ね、良い子だから」

 額に軽く接吻(くちづけ)。するとリチェの表情がころっと変わり、嬉しそうに頷いて駆け出していった。その姿は、まるで

尻尾を振る子犬。微笑ましさに眼を細めながら、メイは、銀のトレイに紅茶とケーキを乗せて、食堂を立ち去った。



「お嬢様、紅茶をお持ちしました」

 扉を叩く音に合わせて、凛とした声が耳に飛び込む。ベッドに伏せていたミシェールは、その声に胸の動悸が早まるの

を感じた。

 美しい銀色の髪に、竜胆(りんどう)の花より鮮やかな紫の瞳。精気の薄い透き通った肌は、消えそうなほどの儚さを感

じさせる。この病弱な十三歳の少女、ミシェールこそ、館の主である。

「入って」

 上気した頬を悟られまいと毛布を深く被って、ミシェールは答えた。木製の扉が、軋(きし)んだ音を立てて開かれる。銀

の盆を片手に入ってきたのは、栗毛の侍女……メイ。

「お嬢様、ご気分は?」

 静々と歩み寄り、微笑むメイ。その瞳に、ミシェールは頬を赤らめ視線を逸らした。

「うん……。だいぶ良くなった」

「そうですか? 何だか、お顔が赤いようですが……」

 盆を置くと、メイは色白の肌を伸ばして、ミシェールの額に触れる。

「あっ……」

 やんわりと汗ばんだ額に触れる、柔らかい指の感触。メイの纏った百合の薫りを吸い込みながら、ミシェールは瞳を潤

ませつぶやいた。

「分かってる……くせに」

「あっ……ごめんなさい」

 慌てて、掌を離すメイ。そう、ミシェールの頬が赤いのは風邪でなく、別の病のせい。メイの横顔を見つめながら、ミシェ

ールは胸を高鳴らせていた。

(綺麗だな……。私も、こんな風になれたら……)

 彼女にとって、メイは憧れの存在だった。健康的で人当たりも良い、母のような、姉のような女性。早くに家族を亡くし

たミシェールは、優しく慰めてくれるメイを、いつしか誰より慕うようになっていた。

「お嬢様、お口を開けて下さいね」

 気付くと、メイは銀のスプーンにケーキを掬い取り、ミシェールの唇に近付けていた。甘いクリームに混じった葡萄酒の

匂いに惑わされ、ミシェールの心に、ふと悪戯な心が湧き上がる。

「……口移しじゃなきゃ、嫌」

「えっ?」

 少し驚いて、手を止めるメイ。だが、ミシェールは真剣だった。哀願するように濡れる瞳が、憧れの人の唇を求め、いじ

らしく瞬く。

 数瞬の無言の後、メイは照れながらも頷いた。ケーキを自らの口に含み、横たわるミシェールへ寄り添う。

 瞳を閉じ、そっと唇を近づけるメイ。ミシェールは羞恥と期待に全身を熱くしながら、考えていた。

(メイ、貴方の行為は忠実な侍女として? それとも……)

 柔らかな唇と唇が、互いを求めるように重なり合う。優しく舌が挿し込まれ、ケーキの蕩けるようで甘く痺れた、大人の

味に口の中が満たされる。

「う、んっ……」

 葡萄酒の匂いと甘い舌の感触に愉悦を感じながら、ミシェールは細腕を伸ばし、精一杯に強くメイの首筋を抱き締め

た。

(好きだよ、メイ……)

 メイの息遣いをベッドの上で受け止めながら、ミシェールは微笑んだ。薄い着衣を通して伝わる、激しく暖かな鼓動と、

百合の薫り。二人は、しばし無言のまま唇を重ね合った。



「わあ、お嬢様ってば、お肌奇麗だね」

「だ、だめ。リチェったら変な所触らないで」

 暖かい湯気に湿った、館の浴室。湯に溶けたハーブの香りに包まれて、二人はじゃれ合っていた。

「もう、意地悪しないで……」

「えへへ、お嬢様かわいい!」

 リチェの繊細な指先が、白いうなじから柔らかな胸に腿までなぞっていき、石鹸の泡で包み込む。 その心地良さに、腰

掛けの上で悶えるミシェールの、甘い吐息。まだ幼い二人の愛情たっぷりの姿は、妖しい色香さえ帯びていた。

「もう、お返しだよっ」

「きゃんっ」

 リチェを押し倒し、くすぐってやる。湯に濡れたタイルの上で、石鹸の泡に塗れていく少女達の白い肌。

 笑い転げるリチェを見つめながら、ミシェールは、ふと物思いに囚われた。

(この唇にも、メイの……)

 苺色の、リチェの唇に視線が引き付けられる。先刻の自分の悪戯を思い出し、顔を真っ赤にするミシェール。

「どうしたの、お嬢様?」

「……ねえ、リチェ。貴方は」

 埋火のように湧き上がる嫉妬に胸を掻き乱されながら、ミシェールは尋ねた。

「私と、メイと……どっちが好きなの?」

 いや、本当に知りたいのは、メイが、リチェと自分のどちらを可愛がっているか。水滴のしたたる音に、自分の激しい鼓

動が混じり、いやに響く。

(だって……二人とも仲良すぎるんだもん)

 メイとリチェの仲睦まじさは、ミシェールもよく知っている。昼下がり、窓から見た中庭で、眠るリチェにキスするメイを見

た時も、彼女の心は千々に乱れたのだった。

(メイは、すぐはぐらかすし……)

 大人ってずるい、と本当に思う。ミシェールが、たまに大胆な行動に出ても、すぐ笑って「悪い子ね」と額を小突き、避け

てしまう。今日の悪戯も、二度目は誤魔化された。

「お嬢様、妬いてるの?」

 胸中を見破られたと思い、頬が灼熱する。だが、動転するミシェールに抱き着いて、リチェは無邪気に笑った。

「だいじょうぶだよっ、私、お嬢様のことも大好きっ!」

「く、苦しいよ、リチェ……」

 頬を擦り寄せるリチェに抵抗しながら、ミシェールは、そっと溜め息を吐いた。

(知りたいのは、リチェの気持ちじゃなくて……)

 知りたいのは、メイの気持ち。彼女の、本当の気持ち。リチェと同じで、自分も妹扱いなのか。それとも特別なのか。

(変なの。私、何を焦ってるのだろう)

 メイの笑顔に恋焦がれながら、ミシェールは、身体が異様に火照るのを感じた。暖かな色に染まったリチェの肢体さえ、

なぜか冷たく思える。

「あれ……。何か、熱いよ……」

 次の瞬間。ミシェールは意識が遠のくのを感じた。驚くリチェの悲鳴を聞きながら、彼女は、濡れたタイルに静かに崩れ

落ちた。



「もう……。お体が悪いのに、無理するからですよ」

 蝋燭の火が闇に揺れる、夜の寝室。額に冷たいタオルを置いてくれながら、メイが微笑む。

「……ごめんなさい」

 ベッドに横たわり安静にしながら、謝るミシェール。彼女が倒れたのは、単に長風呂のせいだったようだ。

「良かった、お嬢様が無事で!」

 横を向けば、リチェが尻尾を振る子犬のような笑顔で、見守っている。浴室でミシェールが倒れてから意識を取り戻すま

で、彼女はずっと傍に付き添っていてくれた。

「ごめんね、心配かけて」

 無理をしつつも微笑んでみせると、リチェの笑顔が更に輝きを増す。その表情に安心させられ、ミシェールはそっと瞳を

閉じた。

「お嬢様、もうお休みですか?」

「うん……」

 何だか、疲れてしまった。軽く頷き、ミシェールは枕に頭を埋める。

「では、明かりは消しておきますね」

 蝋燭の火を吹き消し、メイは、リチェと連れ立って去ろうとする。その背中を呼び止め、ミシェールは言った。

「待って……」

 振り返るメイに、熱っぽい瞳で訴えかける。

「一緒に寝たいの……」

 今夜は離れたくなかった。亡き家族のように、寄り添っていてほしかった。

 そんな、いじらしい表情に心動かされたか、メイは笑顔で頷いた。

「ええ、私でよろしければ」

「えーっ、ずるい。私も、お嬢様と寝る!」

 頬を膨らませ、むくれるリチェ。すぐさまベッドに飛びつき、毛布に潜り込んでくる。

「もう、リチェったら……」

「ううん、いいの。リチェも、一緒に寝よ?」

 メイは腰に手を当て眉をひそめるが、ミシェールは微笑んだ。リチェと二人、笑顔を交わし、固く手を繋ぎ指を絡ませ

る。

「ふふ、まあ、お嬢様がよろしいのでしたら……」

 軽く笑うと、メイは侍女の黒服を脱ぎ捨て、寝巻き替わりのシュミーズ姿になる。カーテンを通して微かに零れる月光に

照らされ、妖しく輝く美貌。その姿に魅了され、ミシェールが頬を染め見つめていると、メイは淑やかに毛布を捲り、身体

を寄せてきた。

「では、夢の中まで、ご一緒しますね」

 ミシェールの耳に戯れを囁き、彼女もそっと指を絡ませる。

 梟の声だけが聞こえる、静かな夜。左にリチェの寝息を聞きながら、ミシェールはそっと首を傾け、メイの横顔を見つめ

る。

(綺麗な顔……)

 この寝顔を独占したいと願うのは、自分がまだ幼いから? もっと大人になれば、焦りや羨望(せんぼう)でなく、安らか

な心で、この寝顔を眺められるだろうか。

「どうしました、お嬢様?」

 どうやら、起こしてしまったらしい。メイの瞳に見つめ返され、ミシェールは頬を紅潮させた。

「あ……ごめんなさい」

 気恥ずかしさに、一旦は眼を逸らすミシェール。

「……?」

 だが、見つめるメイの視線に頬が染まっていく。やがて火照った心が抑え切れなくなり、潤んだ瞳で囁いた。

「大好きだよ、メイ……」

「……ふふっ」

 手のかかる子犬を愛でるような表情で、メイが吹き出す。

(早く大人になりたいな……)

 ミシェールは思った。今の私は、たぶんメイにとって妹か、子犬。無理もない、自分はまだ、幼いのだから。

(焦ることはない。今は、まだ……)

 メイの笑顔を見つめ、ミシェールは葛藤を振り払う。焦っても、身体は変わらない。今は、特別な感情でなくても、愛され

ることを素直に喜んでいよう。

「お休み、メイ」

 頬を寄せ、そっと唇を押し当てる。微笑みで返すメイに寄り添い、ミシェールは静かに眠りに落ちた。

 こうして眠る内、骨は育ち、身体は変わっていく。少しずつだけど、大人になる自分。少しずつ、成長していく身体。

(大人の心を持つのは、まだ後で良いよね。焦らなくて、良いんだよね?)

 夜空に問い掛けるミシェール。その焦りを静めるように、月は優しく、その横顔を照らしている……。



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