原稿
LOW




「だーーー。もう、くそーー。だあぁめえぇだあああぁぁあ!」

 叫びながら俺は400字詰め原稿用紙を空中に放り投げた。

 投げられた原稿用紙は空中で消しゴムのカスを撒き散らしながらゆっくりと降下していく。

「無理だっつってんだろぉがよーー。くそーー。だー、だー、だー」

 椅子を蹴っ倒し頭を掻き毟りながら暴れ回る俺。

 傍目からみればとてもアブナイ人に見えるのだろうが周りに誰もいなければそんなことを考える必要なんかない。とい

うわけなので遠慮なく奇行が行える。それにこの程度のことはまだまだ序の口だ。本当にヤバイときは突然壁に頭突き

をしたり、ワケもなく逆立ちをしたり、イミもなく全裸で部屋の中を徘徊したりと様々な壊れ方をしている。

「はぁあああ! あーたたたたたたたたたた、ほわたーーー!」

 俺は落ちた原稿用紙を拾い上げるとそれにシャーペンで無数の穴を開ける。

 そして決めゼリフ。

「北斗百烈拳!」

 …俺はもう壊れている。

 何故俺がここまで壊れているかというとそれは二日後に迫った締め切りという悪魔が原因である。

 俺はいわゆる漫研と言われるサークルに入っていて、そこが出す本の締め切りが正に明後日なのである。それまでに

原稿を仕上げなければ落ちてしまうのだが、今現在俺の原稿は一枚もまともに書けてはいない。

 ネタはいくつかあるにはあるのだがどうにもうまく形にならないのだ。

「あああぁあああぁぁぁあぁぁあああああぁぁぁぁぁああ」

 奇声を発しながら意味もなく机を引っ掻く。

 あかん。マジで壊れてきた。

「はぁーー」

 深呼吸の代わりに大きくため息をついて気持ちを落ち着かせる。

 ダメだ。今のまま何か書こうとしても一行たりとも言葉なんか思いつかん。

「しゃあない。根詰めても出来んもんは出来んのやから、ちょっと休憩。考えてみれば後二日はあるんだし根性入れて徹

夜すれば一日で何とかなるだろう。よし、そーと決まれば気分転換にゲームでもやろ」

 ピコピコ

 コンコン

 ゲームを始めてから少し経ったとき家のドアがノックされた。

「誰だ? まったく」

 俺はゲームを中断させられたことに腹を立てながらもドアのカギをはずした。

 ドアを開け訪問者の顔を確認する。そこにいたのはいかにも図々しそうな女だった。

「おっす、真先」

 その女は小さくチョップをするような仕種で言った。

「何だ、お前か」

 その女の名は水無方水夜。まぁなんていうか一応俺の彼女といえばそんなところだ。

 実際、俺達はいつから付き合い始めたのかよく分からない仲である。

「何だ、はないでしょ。せっかくこんなにかわいい女のコが来てあげたんだから」

 水夜は腰に手を当てて偉そうに言う。

「かわいい女のコどこにも見えないが、一体お前は何しに来たんだ」

「ん。ちょっとヒマだったから来てみただけよ」

 なによもう、などと言ってふくれつつ、水夜は俺の許可も得ずに部屋の中にずかずかと入り込んでくる。まぁいつものこ

となので俺もいちいちどーこー言わないのだが、

「うわっ、汚っ!」

 部屋に入って開口一番こんな風に言われるとちょっと、いや、

 かなりムカツク。

「オメー、帰れ」

 反射的にそんなことを言ってしまう。

「だってこれは酷すぎるよ。人間が住めるレベルじゃないよ」

「俺が住んでんじゃねぇかよ」

「真先は気でも違っちゃってるんでしょ」

 サラッっと暴言を吐く水夜。いくらなんでもそこまでひでぇーか。

 確かにこの部屋の汚さは折り紙つきで俺も認めるがそこまで言わんでもいーだろーに。

「真先ってホント、アタシがいないとダメ人間だね」

 何故か嬉しそうに言い水夜は部屋のそこら中に散乱しているゴミを片付けていく。

「誰がダメ人間なんだよ」

「真先以外にいないでしょ」

 水夜に対しては何かと文句は腐るほどありそのほとんどを口にしているわけなのだが、俺は水夜が来ることを嫌って

はいない。むしろ感謝している。今日のように部屋を掃除してくれたり飯を作ってくれることもありインスタント中心のマジ

でダメ人間な俺にとってはありがたいことだ。

 ただこのことはお調子者で図々しく傲慢なやつには口が裂けても言えないのだが。

「あー、ゲームやってるー」

 ポーズされたままの画面を指差して水夜は口を尖らせる。

「いいのー、こんなことやってて」

「何がだ?」

「え? 別に何でも」

 わざとらしくとぼけて思い出したかのようにゴミを片付けだす。

「そーいえばさぁ。小説、どうなったの?」

 ゴミを片付けながら水夜が言った。

 なるほど、そーゆーことか。

 俺は水夜が来た真意を悟った。原稿の進み具合が知りたかったのだ。

 どうして分かったのかというとこの「そーいえばさぁ」という話しの切り出しかたである。

 これは水夜の癖で一番言いたいことを必ずそうやって切り出していた。

「今回はちょっと無理っぽいから落とす」

 俺は少しためらいがちに言った。

「え! 何で? 書かないの?」

 とても驚いたような声で水夜が言う。

「ああ、ちょっともう時間的に無理だからな。今からじゃどうがんばったって上がらない」

「そんな! どうして!」

 叫ぶように言う。

「今回はがんばるって言ってたじゃん! 前みたいのはイヤだって言ってたじゃん! なのになんで…」

 前、というのは前回の本の原稿のことだ。

 前回、俺は原稿を書き上げることが出来なかった。時間が足りなかったのだ。途中まで書いていたのだが書き上がる

前に締め切りが来て、結局落ちてしまった。

 実際には原稿を書くのに十分な時間はあった。あったからこそ俺は締め切り直前まで何もせずにいて結果、時間が足

らなくなった。それでも締め切り一週間前ぐらいから書き始めたので終わらそうと思えば出来たのかもしれないが、俺は

原稿に行き詰るとすぐに遊びの誘惑に耐え切れず遊んでいたので原稿を書いていたのは正味10時間程度だったのか

もしれない。そんな時間でまともなものが出来るはずがなかった。一週間前からでも遊ばないで集中して書いていれば

書き上げられたのかもしれないが、そう思ったときは既にあとの祭りであった。

 あの時は確かに悔しい思いをした。次回はがんばろうと決めた。しかし

「今からじゃ圧倒的に時間が足らないだろ。あと二日だぜ。悔しいのは確かだが仕方がない。無理なものは無理なんだ」

 今から徹夜しても40時間程度。その全部に集中出来るわけないので原稿を書き上げるのは絶望的だ。

「そんな、やる前から無理だなんて決め付けないでよ! がんばってもいないのに適当なこと言わないでよ!」

 水夜はとても希望的なことを言うが現実的にがんばったとしても無理なものは無理だろう。書けるのはせいぜい一ペー

ジにも満たないヘボい小説だけだろう。

「時間がないって言ってるだろ! 無理だよ」

「時間がないのは真先が早くから始めなかったからでしょ。何で前と同じことするの?」

「とにかく無理なものは無理なんだ」

「勝手に決め付けないでよ! そんなんだからいつまで経っても同じなんだよ。ちょっとは成長しろ! このバカ!」

 バカヤロー! と叫んで水夜は、引き止める間もなく、突然走って帰ってしまった。

 急に部屋が静かになる。

 水夜が片付けかけていたゴミが中途半端なまま部屋の隅に残っている。

 何をすればいいのか少し迷ってふとゲームのポーズ画面が目に入った。

 そういえば途中だったな、と思いコントローラーを手に取った。ゴミは終わってから片付けよう。

 俺はゲームのポーズを解除し再開する。

 出来ねぇもんはしょうがねぇだろ。

 ゲームをやりながらも水夜の言葉を思い出してイライラしていた。

 俺だって書きてぇよ。でももう時間がないんだ。

 でもその時間をなくしたのは俺自身。自業自得というやつだ。

「あっ、くそっ」

 考え事をしながらだったので、ついゲームの操作をミスしてしまった。くそっムカツクなアイツは!

 何なんだよ、一体。

「あっ!」

 またミスをした。今回のは致命的だ。

「くそっ」

 俺はゲーム機の電源を消してコントローラーを放り投げた。

 そのときふと既視感(デジャヴ)のようなものを感じた。

 前もこんなことを…。

 していたな。前回の原稿のときも同じようにコントローラーを投げてた気がする。あの後は確かソッコーで寝たんだっけ。

 俺はごろんと横になる。

 目を閉じて考える。

「成長しろ…か」

 確かにやってることは前回原稿を落としたときと同じかもな。

 成長していない。

 締め切り近くなるまで何もしないで、近くなったら焦りだすのに、ほとんど集中出来ずに結局最後は諦める。

 このまま次の原稿もその次も同じように落とすのだろうか。

 同じところぐるぐる回って、結局その輪から抜け出せない。

 ふと、本当にわっかの中をぐるぐる回る自分を想像し、とても滑稽だと思った。

「バカみてぇ」

 そんな自分を鼻で笑い俺は立ち上がった。

 ピピピッ、ピピピッ

 そのとき携帯の着信音が鳴った。メールのほうだ。

 俺は携帯を取って表示画面を見る。水夜からだ。

 俺はメールの内容を確認した。

『真先、さっきはごめん。ちょっと言い過ぎた。よく知らないくせに勝手なことばっか言ってごめん。真先だってなんにもや

らなかったわけじゃないのに。ホントダメだね、アタシ。成長してないのはアタシの方だっつーのなぁ。いっつも真先に迷

惑かけて、ホントにごめん。原稿の方、今回は残念だったけど、次はがんばってね。それじゃ。』

 次はがんばってね。

 前回、俺が原稿を落したときに水夜が言った言葉だ。

 それに対して俺は「おう、まかせろ」などと無責任なことを言っていた。

 畜生、畜生、畜生…

 時計を見る。時間はあるはずがない。

 だけど

「あきらめ…られるか!」

 俺は原稿用紙に向かった。



*  *  *



「どうだった」

 水夜…。

「ダメだった」

 俺はあの後、必死で原稿を書いた。だが書き上げることは出来なかった。

 俺がもう一度やる気になったことは水夜には話してない。なのに…。

「そっか。がんばったんだね」

 なのになんでお前はそんな風に言うんだよ。

「ただ、怠けてただけさ」

 俺の言葉に水夜は首を振る。

「ううん。そんなことないよ。目を見れば分かるもん。真先がどれだけがんばったか」

 あれから実は一睡もしていなかった。きっとひどい顔になっているのだろう。

「真先、前よりかっこよくなってるよ」

「それは嫌味か」

「まぁね。けどホントかっこいいよ」

 矛盾したこと言いながら、水夜は俺を優しく見つめている。

 くそっ。俺はコイツのこんな顔見たくねぇ。もっとめい一杯喜んでる顔のほうがいい。

 コイツにこんな顔させた俺自身がとても情けない。

「何か悔しいよ、俺」

「ホント、悔しいよね」

「何でもっと早くから始めなかったんだろう。そうしていればこんな気持ちにならなかったのに」

 今さらこんなことを言ったってあとの祭りだ。もう、二度とは戻らない。

「ホント、こんな気持ちになること分かってた筈なのにどうして同じこと繰り返すんだろうな」

 前回も今回も。

「ホント、バカだな俺。水夜の言うとおり全然成長してない」

「ううん。そんなことないよ。真先はきっと成長してる。今も、これからも、ずっと。今すぐ全部上手に出来なくていいよ少し

ずつがんばろっ。何度も間違えて、悔しい思いして、それでもがんばって、成長していこっ」



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