水色の蜘蛛
茂木ともみ




 武は社交的な人間ではない。できる限り、人と接することを避けて生きてきた。友達も、今まで一人もいたことがない。

 武は受験戦争を乗り越え、二流私立大学へ入学することになった。自宅から大学まで、通学不可能な距離だったの

で、小さなアパートで一人暮らしを始めた。

 武は大学の授業が終わると、すぐに自分の部屋へと帰る。部屋で本か漫画を読むか、テレビを観るか、テレビゲーム

をして時間を潰す。

 外の景色が暗くなり、両の目蓋が重くなってくると、ベッドに潜り込んで眠ってしまう。

 武の友達は、本とテレビとゲームだった。人間の友達が欲しいと思ったことはあるけれど、話をするのが苦手で、気を

使うのが嫌いだから、誰も近寄ってこない。武自身も一人でいる方が好きだから、友達を作ろうと行動することはなかっ

た。

 武は孤独な生活を続けて一八年も経つ。これまでは、孤独といっても帰宅すると家族が迎えてくれ、両親や祖母と少な

からず言葉を交わしていた。

 今の一人暮らしでは、帰宅しても誰もいない。人間嫌いの武でも、孤独感が募っていった。

 誰でも良いから話し相手が欲しいと願っていた夜のこと。

 小粒の雨が降り続く夜だった。武はベッドに仰向けに横になり、天井を眺めていると、隅に、毬藻のような水色の小さな

生物が静かに動いているのが目についた。目を凝らしてみると、小さな水色の蜘蛛だった。突然の来客に、武は瞳を輝

かせた。武は「おやすみ」と、蜘蛛に挨拶して、深い眠りについた。

 朝になり、武が目覚めると、蜘蛛は武の目の前の天井にいた。武は再び目を閉じて、蜘蛛の名前を考えた。

 しばらく経つと、武は蜘蛛に向かって「おはよう、ショコラ。」と挨拶した。

 この日から、武とショコラの共同生活が始まった。武はゲームや本を読む代わりに、ショコラに話しかけるようになっ

た。ショコラは話かけられる度に、足を動かしたり、糸を吐き出したりして、相槌を打った。

 武は、目が覚めるとショコラの位置を確認し、帰宅するとショコラの位置を確かめた。ショコラの方も、武が帰ったのに

気付くと、水色の角ばった足を大きく動かして、武を迎える。二つの生き物が出会った雨の日から三ヶ月が経ち、ショコラ

は握り拳くらいの巨大な蜘蛛に成長していた。

 武は常にショコラのことを考えるようになった。次第に大学にもいかなくなり、一日中、天井をゆっくり移動するショコラ

に見とれながら過ごす日々が続いた。

 いつもの様に、部屋に閉じこもってショコラと過ごした夜のこと。武は眠るためにベッドに入った。天井のショコラも、いつ

もの様に武の頭部の方へ、ゆっくりと移動した。

 武はショコラに問いかけた。 「君とずっと一緒にいるにはどうしたらいい?」

 ショコラは動かなかった。武はしばらく考え事をしていたが、すぐに深い眠りについた。

 夜も十分に深まった頃、ショコラは静かに糸を吐き出した。糸と呼ぶには、あまりに太く、綱の様に見える。綱の様な糸

は、薄暗い部屋の中で白く透き通り、電球の黄色い光を受けて光っている。

 一時間ほど経過すると、ベッドを囲む様にして立派な蜘蛛の巣が出来上がった。

 武は相変わらず眠っている。

 ショコラは糸を伝って武に近付き、首のあたりで止まると、再び糸を吐き出しながら、武の首の回りを一周した。武の首

には、太くて透明な糸が巻きつけられた。ショコラは武の喉仏のあたりに立ち、中指ほどもある足で、首回りの糸の両端

を力一杯に左右に引っ張った。

 武は一瞬、目を見開き、小さな呻き声をあげたが、再び目を閉じて永遠の眠りについた。

 ショコラは小さく開いた武の口から、彼の中へと入っていった。

 アパートの契約が切れる頃、管理人が武の部屋を訪れた。チャイムを鳴らしても出てくる気配がなかったので、合鍵を

使って部屋を開けた。ドアを開けたと同時に、鼻を襲う臭気がした。息を止め、部屋の奥へ忍び込むと、蜘蛛の巣に囲ま

れたベッドの上に、口元に微かな笑みを浮かべた武の死体があった。武の身体は水色を帯びていた。



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