真夏ノ世ノ夢
夏月梨音






 毎年誕生日の三日前になると、変な夢を見る。それは決まって同じ場面。いつから見始めたのかわからな

 

けれど、小学生の低学年のときからは確実に見ていたように思う。

 

 私はファミレスの窓側の席で、友人と思われる女の子(大学生くらい)と向かい合っている。彼女は目

 

っちりと大きくてモデルさんみたいに綺麗なのだ。彼女は微笑みながら何か話をしている。けどその内容はい

 

つも聞き取れない。無声映画みたいに口だけがパクパク動いている。それでも私と彼女が飲んでいるアイスコ

 

ーヒーの中の氷は溶け、カラーンと涼しげな音を立てるのだ。場面はそこで切り替わり、セミの鳴き声だけが

 

暗闇の中で響き渡る。そこへ先ほどとは違う、見知らぬ女がゆっくりと前から近づいてくる。彼女はにやりと

 

嗤いながら私とすれ違う。そしてその直後、視界が真っ暗になり、私は眼を覚ます。

 

 まったく脈絡のない場面が散りばめられた夢。私はこれを毎年きっかり三日前から見る。一体何なのだろ

 

う。けど、こんなおかしな話など言えるわけがなく、私は長いこと自分の心の奥底にしまい続けていた。

 私が生まれてから二十回目の八月が訪れた。今日、八月九日は私が再びあの不思議な夢を見る初日なのだ。

 

 思ったとおり、同じ場面で目を覚ました。予想はしていたことだけど、後味が悪かった。びっしょりと汗を

 

掻いたシャツを脱ぎ、大学に着ていく服を探す。

 

 今年こそ打ち明けてみよう。そう思ったのは今年が二十歳になる、という区切りのよさと、打ち明けるに値

 

する人がいるからだ。

 

 大学へ行く準備を終えるやいなや、私はダッシュで家を出た。

「何? 話って?」

 

 雨の日も風の日も、体調を崩していても、いつも爽やかな笑顔を振りまいてくれる私の友人・俊介は、学食

 

のスパゲティを頬張りながら、やっぱり笑顔でたずねた。

 

 俊介は大学で一番に仲良くなった、同じ学科の男の子。ジャニーズ顔負けの端麗な容姿と人なつっこい性

 

格。人望があるのだが、にぎやかな場所やキャーキャー騒ぐ女子が苦手で、男とかに無関心な私と何故か行動

 

を共にするようになった。きっかけは実験の授業でたまたま同じ班になったから。それだけのこと、なんだけ

 

ど。まぁ害はないので問題はないだろう。そうしていつのまにか悩み事を相談するまでの仲となっているのだ

 

が、決して彼氏彼女の関係ではないのだ。たぶん。

 

 私はいよいよ彼に例の夢の話を切り出した。俊介は真面目そうな顔で、真剣に聞いてくれた。

 

「それって……」

 

 俊介はスパゲティを咀嚼しながら眉間に皴を寄せながら思いつめたような顔つきで何かを考えているようだ

 

った。そしてぐびっと水を飲み干すと、ゆっくりと口を開いた。

 

「いわゆる、予知夢ってやつ?」

 

 やっぱりその答えか……。私もその結論には一度辿り着いた。けど、この夢が何を意味するのか、真っ暗に

 

なった先に何が起こるのかがわからなくて、考えるのをやめていた。

 

「なんなんだろうねぇ……。あっ、でも知り合いに霊感ある人いるよ! その人に聞いてみようよぉ。待って

 

て、ちょっと連絡してみるから」

 

 俊介はすぐさま携帯を取り出し、その知り合いの番号を調べ始めた。

 

 霊感って……、私なんか危ない人なのかなぁ。そんなことを思っている間に俊介は電話をかけ、数十秒で約

 

束をし終え、携帯をカバンにしまった。

 

「彼女は多忙だから、今日明日は無理みたい。あさっての午後五時に駅前のジョナサンに来てくれることにな

 

ったよ。彼女、森下さんは僕の姉貴の友達で、とっても綺麗な人なんだ。彼女に任せておけば大丈夫だよ。

 

数々の不思議な現象を解明してきた実績があるんだから」

 

 俊介は得意顔でぽんっと私の肩を叩いた。本当にこれで大丈夫なのだろうか。でも私には他になす術がない

 

し、こんな変な夢と早くお別れしたかったので、森下さんに頼ることにした。

 

 あさっては、二十歳の誕生日。それまであと二回、私はあの夢を見なければならないのか。そう思うと身体

 

が脱力したが、今年が最後になるかもしれないと考え、自分を励ました。

 翌日も同様の夢を見た。明日がラスト――のはず。とりあえずいつもどおり、一日をエンジョイするのだ。

 

なぜか今日は講義を一度も眠ることなく受けることができた。悩みが一つ減ることへの希望はここまで人を変

 

えることができるのであろうか。

 こうして時間は過ぎ、森下さんに会う一時間前となった。俊介はバイトがどうしても休めないらしく、申し

 

訳なさそうに「今日のファミレス代」と言って、私に二千円を差し出した。

 ジョナサンの扉を開くと、既に席は学校帰りの高校生や一服するサラリーマンなどで埋まっていた。

 

「お一人でございますか?」

 

 店員はにこやかに言葉をかける。

 

「いえ……待ち合わせをしていて……」

 

 森下さんらしき人物を見つけようと、店内を見回しながら返事をした。

 

「あ、それでしたら窓際にいらっしゃる方ではありませんか? 五時からお連れ様がいらっしゃるとおっしゃ

 

っていましたので……」

 

 店員は窓際の方に目を向けた。見るとそこには一人ぽつーんと窓の外を見つめている女性が座っていた。

 

「あ、多分彼女です。ありがとうございます」

 

 店員に軽く会釈をすると、私は彼女のいる席へと向かった。

 

「あ、あの……、森下さんですよね? 私、俊介の友人の相沢由紀といいます」

 

「ああ、あなたが!」

 

 森下さんはぱぁっと表情を明るくして私に座るよう促した。私は彼女のその笑顔を見た途端、全身を寒気

 

襲われた。森下さんが、私が見続けていた『向かい側の席で微笑む女性』と全く同じだったのだ。年は私

 

同じ大学生で、幾分か年上のように見えた。しかもテーブルには飲みかけのアイスコーヒーが置けれてい

 

た。

 

「そ……、そんなことって……」

 

 どきりと心臓が激しく脈打つのを抑えながら、私は恐る恐る夢の話をした。そしてその中に出てくる女性が

 

森下さんと瓜二つだということも。

 

 話を一通り終えると、森下さんは視線を窓の外に移し、しばらく無言の時間が過ぎた。沈黙を破ったのはア

 

イスコーヒーの氷が溶ける、カラーんという涼しげな音だった。

 

 夢と全く同じシチュエーション。私はたまらず声を出した。

 

「森下さん! これって一体何なんですか?! あなたとこうして話すことも、アイスコーヒーも、すべて夢

 

の通りなんです! 私この先どうなるんですか!?

 

 一気に言い終えると、彼女は少し困った顔をしながら私の顔をじっと見た。

 

「これは、はじまりとおわりの合図なんだね」

 

――は?

 

 言葉の意味が呑み込めず、私は口をぽかんと開けたまま彼女の言葉を待った。

 

「つまり、こういうこと。もうすぐ相沢由紀としてのあなたは消え、あなたの身体には新たな魂が宿るの。あ

 

なたが見続けてきた夢はそれを告げるものなんだと思う」

 

「そんな……ありえない」

 

「稀にあるみたい。事実私もかつてあなたと同じ運命になった人を見てきたし」

 

「その人は、どうなったんですか?」

 

「夢は正夢になって、彼女はいなくなった。代わりに全く別に人格の人に生まれ変わったけれど。あの夢は二

 

重人格者が見るものなのかもしれない。もう一つの人格に変わることを夢が告げていたのかも」

 

 私が、二重人格者? まさか!? しかし夢は着実に正夢になろうとしている。このままいけば、私は本当

 

にいなくなってしまう?!

 

「止める方法は、ないんですか?」

 

 膝がガクガク震えるのを必死で抑えながら尋ねてみた。けれど森下さんは首を横に振った。

 

「こればっかりは、私にはどうすることも……。ごめんなさい」

 

 これ以上私はこの場にいることができそうになくて、軽く会釈をして店を飛び出した。嫌だ! 嫌だ! 自

 

分が自分でなくなってしまうなんて! 

 

でも……、どうしてもそれが本当に避けられないことなら、私は最後に何をしよう?

 

 大通りを抜け、私は公園のベンチに腰を下ろした。見上げると要綱がキラキラと木々の間から漏れていて美

 

しかった。子どもたちの笑い声にセミの鳴き声が混じる。

 

シネシネシネシネシネ…………

 

え? これって、まさか!?

 

この鳴き声も夢の通りだった。これでまた一つ正夢となった。残るは謎の女だけとなった。彼女に出会った

 

ら私はこの世からいなくなるのだろうか。だとしたら、どうしよう! そうだ! とりあえず家に帰ろう!

 

とにかくここから逃げなくちゃ!

 

 私はとにかく夢中で走り始めた。逃げろ! 逃げろ! 逃げろ! 消えたくないよ! 助けて――! 俊

 

!!

 

 俊介の笑顔が脳裏に浮かんだので、私は急遽俊介のバイト先である、これまた駅前にある塾へと向かった。

 

もしも本当に消えるのなら、私は最後に俊介に人目会いたい――。

 

 再び大通りに戻り、一度だけ寄ったことのあるその塾を捜す。確かあれは駅からすぐ見えるところの……あ

 

った!!

 

 真正面に俊介が働いている個人塾の入り口が見えた。早く行かなきゃ! そう思っているのに身体が石のよ

 

うに動かなくなった。

 

 何だこれ!? どうして動かないの? そうあたふたしているうちに塾の入口から真っ赤な服を着た女性が

 

出てきた。私はごくりと唾を飲んだ。彼女こそ夢の中に出てきた最後の人物だったから。女は冷ややかな笑み

 

を浮かべながら、一歩ずつ私の前へと歩み寄り、私の一メートル前まで来て立ち止まった。

 

 どうして私がこんな目に遭わなければならないの? 私が何をした? どうしてこんなことに……。身体は

 

動かないはずなのに、不思議と涙はとめどなく流れてくる。これで、この世ともお別れなんだ。納得いかない

 

けど、どうすることもできないなら、私は自分の運命に従うしかない。さぁ来るなら来い!

 

 キッと女を睨みつけると、彼女は再びニヤリと口角を上げ、ゆっくりと右目を閉じた。途端に意識が遠のい

 

ていき、目の前が真っ暗になった。そして何も考えることすらできずに、ただひたすら深い海へと堕ちていく

 

ような気がした。

 

* * *

 

 消えかけていく女の命を、男はビルの窓から見下ろしていた。そして、彼の笑い声が虚空に響き渡った。

 

(了)

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