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DA◎Ring of the Angel ―into the dustbox―
なかみゅ


第一章 その天使は流れ星と共にゴミ箱へ


「ううわああああああぁああああ‼」
 夜も更ける頃、絶叫と共に地上へと流れてゆく光が一つ。

 それは、とある町のとある場所に落着したのだった。

***

夏が終わり、ようやく外へ出る事にだるさを感じなくなってきた初秋。
「待てこらああああああああ!!!」
 いつもなら人気のないはずの路地裏。
そこには、塊となって走る男たちの集団と、それを追いかける一人の少年がいた。
そう、繰り返すが、追いかけているのは一人の少年で、追いかけられているのは集団の方だった。
どちらも学校の制服らしき格好をしている。走る集団は皆同じ制服だ。それを追いかける少年だけが異なった制服を着ている。
少年は、この辺りで有名な不良だった。いや、名前だけなら全国のヤンキー達に知られるような、不良の神と呼ばれることもあるほどの知名度を持った伝説級の存在だった。
少年の名に :;@そこまでの箔を与えたのは圧倒的な膂力とその極悪非道ぶりだと言えるかもしれない。
今、少年が逃げ回る彼らを追いかけているのも、歩いている彼らのうちの一人の肩がうっかりぶつかったから、それだけの理由。
この人間を「少年」と表現しているが、彼に関しては、「鬼畜」、あるいは「悪鬼」と表現した方がまだもっともらしいかもしれない。
逃げ回る集団も、始めは抵抗してきたが、何人かが瞬殺されるのを見て今の状況に至る。
 とは言えこんな裏路地でタムロしている時点で彼らも真っ当に学生生活を送っているような人たちではないのだが。
「ぎゃあああああああ‼ 逃げろオオオオオオ‼」
 そんな風に叫びながら必死の形相で逃げる集団と、それを、羊を追う狼のように追い回す少年。
 と、そこで少年は視界におかしなモノが映りこんでいることに気付いた。
(何だアレ?)
 黄金色に光り輝いていた。
 何が?
 それは、路肩においてある側面に生ゴミと書かれているゴミ箱だった。ゴミ箱の蓋には何かが物凄い勢いで上から落下してきたのかと思われるような穴が開いていた。
 少しの間、謎の光るゴミ箱に気を取られていた少年だったが、そこでハッとする。
 あいつらがかなり遠くに離れている。
 少年は再び全力疾走で叫ぶ。
「逃げんなこらああああああああ‼」
 その声に後ろを振り返ってギョッとする哀れな被害者達。  遊びに飢えた狼は再び羊狩りに舞い戻ったのだった。

◎  ◎  ◎

「う……いったぁ~」
 私は全身に走る鈍い痛みと鼻をつくような生臭い臭いに目を覚ました。
 周囲は薄暗い。
 光は天井に空いた穴から差し込むのみだ。
 そして地面は何かぐちゅぐちゅとしていて気持ち悪い。生臭い臭いもそこから発生しているようだ。
 そこまで周りを観察してふと思う。
アレ!? どこだここ!?
とりあえず私は天井の穴から外へ出ようと試みる。
少しつっかえたが何とか出られた。
外に出てここがどこかの薄汚い裏路地だということに気付く。
その光景を見て私は昨日の出来事を思い出す。
ああ、そうだ。私は多分天界から地上まで落ちて来たんだ。
そこまで考えて、私は更に今の自分に何か違和感があると思った。
何か嫌な予感がしつつも、私は私自身の体を眺めようとする。そして気づいてしまった。
「無い! 無い! 無い! 無いよ‼ まずいまずいまずいまずいどうしようどうしようどうしよう帰れないよ~~~~~‼」
 どうすればいいの!? これでは天界に帰ることができない。
 ああ、こんなことになるなんて‼ 何とかしないと‼

 しばらく悶絶していたが、もうどうしようもない。かくなるうえは最終手段を使わなければ‼ 
 けれどそれには人間の協力がいるので、とりあえず人間を探して彷徨う私。
 しばらくふらふらしていると、私は目撃した。
 地獄絵図を‼ 
大量の男達が血まみれで山のように積み上げられている。鼻から血を流したり歯が折れたりしているのが生々しくて気持ち悪い。そして、その頂点には一人の少年が立っている。
 少年は髪を茶髪に染め、耳にはピアス、着ているワイシャツは第2ボタンまで開けていた。ともかく少年が真面目な学生でないことは私にもよくわかった。
 更に少年の両の拳は血で濡れていて、その顔はサタンのような形相を呈している。
 血で濡れているのが拳だけだということは、少年自身はほぼ無傷なのだろう。
 少年は倒れている男たちのポケットをまさぐってハンカチを見つけ出すと、それで手についた返り血を拭っていた。
 ああ、私はまだ本物の悪魔を見たことはないのだけれど、きっとあんな姿をしているんだろうな。
 私は人間を探していたけど、あんな悪魔のような男に手を借りるなんてとんでもない‼ ということで、他を当たることにした。
 当てもなく移動していると、大通りに出た。人がいっぱいいる。ここならきっと協力者を見つけられると思う。
 そう思った私だったけれど、地上慣れしていない私には想像が出来なかった。私のような存在が人目につくとどうなるのか。
 私が大通りに出てまもなく人々がざわめき始めた。
「おい? あれなんだ? 何か浮いてるぞ?」
「しかも光ってる? 新型のドローンか?」
「いや、きっと小型のUFOであの中には小さな宇宙人が載っているんだ」
 周囲のざわめきはどんどん大きくなり、人も増えてきた。
 パシャパシャと携帯で写真を撮る音も聞こえる。
 どうしよう。これは話を聞いてもらえるような状況ではなさそう。
 そして、途端に堰を切ったように人々はこちらに押し寄せてきた。人々の手が私にまとわりついて引っ張って来る。
「この新種の生命を捕獲するのはこの俺だ!」
「いやいや、だからこれはUFOに決まってる‼」
 何か口々に言い争いながら私を引っ張り合っているが、私はそれどころではない‼
「ぎゃああああああ‼ 痛い痛い痛い割れる割れる割れる‼」
 絶叫する私。
 しかしそれすらもこの群衆にとっては火に油を注ぐようなものだったらしく、
「おい、今喋ったぞこれ‼」
「痛いって言ったぞ‼ だから言っただろ、やっぱりこれは生き物なんだよ‼」
「ええー、私はやっぱりUFOだと思うわ」
 彼らの熱狂は更に加熱してゆく。
 ヤバい‼ このままだと本当に引きちぎられる‼
「はああああああっ‼」
 と叫ぶと私は力を開放する。
ピカ―――――っと眩い光が辺りを照らす。
「何だ何だ!?」
「殺人光線かもしれない‼ 離れろ!」
 この後どうなるのかって?
 何か必殺技的なのを期待してた人には悪いけど、これでおしまいだよ‼
 そして光が収まる。
 少し離れて見守る群衆は、ただ光っただけでその後何も起こらなかったことに唖然としていた。
 しかし隙をつくれたのならそれでいいのだ‼
 私は再び路地に戻り、全力で大通りと反対方向に進む。
 追いかけてきた群衆には途中で追いつかれそうになるが、路上に捨てられたチラシの裏側に潜り込んで何とかごまかそうとする。
 でも当然チラシの裏側に潜り込んだりすれば、通り過ぎてゆく群衆に踏んづけられるわけで……。
(ふぎゃ‼ むぎゃ‼ ぎゃあ‼ ……)
 声を出したらバレるので私は心の中で絶叫していた。
 はぁ……はぁ……死ぬかと思った。
 でもとにかくこれであの人達からは逃げ切ることができた。
 これからどうしようか? 
 再び私はこの路地裏で彷徨うことになる。
 
 そして、私は再び目撃することとなった。
 地獄絵図を‼
 さっきと同じように大勢の男たちが倒れていて、その頂点にはまたもやあの悪魔のような男が君臨している。
 しかしさっきとは倒れている奴らが違う。
 何か黒いスーツを着ていて格好が明らかに普通の人じゃない。もちろん学生でもない。普通におっさんばかり。
 というかそもそも日本人ですらない。
顔つきやガタイの面でもそうだし、まだ意識のある何人かが呻くように、
“Fuck you!(ふざけんな!) ”
とか
“Damn it!(ちくしょう!) ”
とか漏らしている。
そして良く見ると男たちは拳銃を持っている。ふと辺りを見ると銃痕らしきものまで散在しているという始末だ。
けれど頂点に立つ少年の様子は変わらない。さっきと同じで血にまみれているのはその両の拳だけだ。
一体コイツどこの国際犯罪組織相手にやらかしてんの!?
 しかし、しかし‼ 現状の私は一刻も早く天界に帰らないといけない。 そのためにはどうしても人間に頼らなきゃいけない。
あそこに君臨する男には絶対に頼りたくない。しかし使えそうなのはあの男だけ……。
どうする!? どうする私‼!?
ジレンマに囚われるが、やっぱり背に腹は代えられない(泣)。
という訳で私は黒服達の山からハンカチを漁っている少年の元へ近づいて声をかけてみる。
「ねえ、そこの少年」
「ん?」
そして少年はこちらを見た。
「……」
しばしの沈黙。
そして、
「なんだこりゃ? 新種のドローンか?」
「違うわ‼」
「うおっ! 何か喋ったぞ。最近のドローンにはそんな機能までついたのか?」
「だから違うってば‼」
 全く、どいつもこいつも! この私を何だと思っているのだ‼
「じゃあ何なんだよ。つか何か変な臭いするし」
 と、少年は鬱陶しそうに言う。
 何だか対応が気に障るが、話は通じそうな予感。
「分からないなら教えてあげるわ! 私は天使よ‼」
「……は?」
「私は天使よ‼」
「……いやいや、ありえねえって。何を言い出すのかと思えば。てかお前どうみても新種のドローンか、家に付いてる電気のあの円になってるやつが光ながらふわふわ浮いているようにしか見えねえぞ?」
「だーかーら違うってばぁ‼ ほら、天使の頭の上についてるアレを思い浮かべて‼」
 私がイライラしながら言うと、少年は納得したような顔になった。
「ああ、あれね、あの輪っかね、うん」
 そしてコイツは何か馬鹿にしたような顔で付け足してきた。
「え? ……ていうか、輪っかだけ?」
「わあああぁあああ言わないでええええ‼ これには、深い訳が‼ そう、深い訳があるんだよ‼」
 そう、今の私は体を失って天使の頭の上にちょこんとあるはずの輪っかだけになっているのだ(泣!)。
 ああ、体の無い天使なんて……。翼を失って地上に落ちた天使なら、何というかまだ切ない感じがあるのだけど、体を失ってリングだけになった天使なんてただ滑稽なだけだよ‼ もう笑うしかないよ‼
 何だか恥ずかしくなってしまったのでもう強硬手段に出ることにする。
 私は少し高度を上げてコイツの頭のちょうど真上に滞空する。そしてここから黄金色の光の形で天使の力を注ぐ。
「おい! 何を……」
何か言っているがもう遅い‼ 
説明しよう‼ この光で人間の体を天使の力で満たす事で、その体を元々の体の代わりの「器」として操り、天使の力を振るう事ができるのだ‼
さあ、これで私はやっと天界に帰ることができる!
 飛び立て人間‼ レッツゴー‼ 
………………あれ?
「おい、何なんだこの光は?」
 あれれ? 何も起こらない? どうして? なんで?
「おい‼ 眩しい辞めやがれ!」
コイツのそんな言葉は耳に入らない。何で何も起こらないんだろう? 光が足りないのかな?
「辞めろっつってんだろうが!? 叩き割るぞオイ!?」
「ヒッ‼」
 この私としたことが、ちょっと怖いと思ってしまった。だって、足元の哀れな黒服達をみて見よう。コイツならホントにやりかねないんだもん‼
「オイ‼」
「ななな何でしょうか?」
 またビクッとして答える私。
「……何だ? これ?」
コイツの声色はさっきと変わってちょっと動揺している。
「ん?」
 そして見ると、この少年の背からは白く輝く翼が生えていて、その体も白い光で薄く包まれていた。
 やった!  成功した‼ と思った私だが、それも束の間。私が念じてもコイツの体は思い通りにならない……。
 ハッ! まさか!? こいつの精神が強すぎて私の力の支配力に抵抗している!? 今のタイミングでコイツに天使の力が現れたのも私にキレかかって感情が高ぶったのがきっかけなのかも?
「オイこれ、お前がやってるのか?」
「そ、そうだけど?」
 どうしよう? どうすればいいんだろうこの状況?
「へぇ~。お前が天使ってのは本当だったみたいだなぁ」
ヤバいヤバいヤバい(汗)。何かコイツ凄く楽しそうな表情してるよ‼ 「面白そうなおもちゃ見つけちゃったラッキー☆」って感じな顔してるよ‼ さっきの動揺した声はどこへ!?
やっぱり諦めよう‼ コイツを頼るのは危険だ‼ というか怖い‼ 早くここから離れなければ‼
私はこの人間の頭の上から離れようとする。
……あれ!? 離れられない!? まさかコイツの精神力がこっちまで侵食して!?
「ふんぐぐぐぐぐ……‼ 離せ人間‼ 離せええええぇえええ‼」
「おいおいそりゃ釣れねえだろ? テメエだって何か用があって俺の前に現れたんだろ?」
 そう言ってコイツは私の体(リング)をがっしりと捕まえてしまった。
 ああ、私はこれからどうなってしまうの(泣⁉)

「うん、じゃあとりあえず私の話を聞いてくれるかな?」
「ああ、いいぞ」
 私の体(リング)にはワイヤーが結んであって、ワイヤーの端はこの少年が持っている。
 つまり私の状況は今ひもが付いているヘリウムガスの風船みたいになっていてコイツが手を離さない限り逃げられないのだ(泣)。
 私がコイツの頭の上から離れたのでもちろん翼や白い光は消失している。
 因みにワイヤーは黒服の男たちの持ち物を漁っていたら何か出てきたと少年が言っていた。
「まず大前提としてもう一回言っとくけど、私は天使。全能の主に仕えるえっっっらい存在なんだからね‼」
「何でリングしかないのか謎だけどな」
「う……。そう、それが問題なの。誤解がないように天使の構造を説明しておくけど、天使の本体は本来頭についているリングの方。円は完全な存在を象徴していて、円の形をしたリングは天使の魂であり力のバッテリーみたいな存在。それに対して体はリングという本体のエネルギーによって動く人形みたいな存在なんだよ。逆に言えば本体のリングだけだとエネルギーを力に変換できないから天使は大したことができない。分かりやく言うと、ラジコンカーのコントローラ兼電池がリングで、車の方が体って感じかな。遠隔操作はできないんだけどね」
「じゃあ、体の方は八つ裂きにしちまってもリングが無事なら大丈夫って訳か」
「その例え怖いから‼ 言ってることはあってるけど。まあ、極端な話、リングさえ壊されなければ体は主にまた作ってもらえばいくらでも替えが効くというか」
「便利なもんだな」
 コイツはちょっと感心したように言う。それを応用することで、元々天使の「器」として作られた訳ではない人間も操ることができるのだが、コイツにそれを実行しようとした事を話したら何をされるか分かったものではないのでそこはあえて黙っておく。
「で? 結局お前は何がしたい訳?」
 じれったそうに聞いてくる少年。
「私の目的は主の座す聖域であり天使の住処である『天界』へと帰ること、それと、自分の体を取り戻すことだよ」
「『天界』ってのはまあ空の彼方のどっかにあるんだろうけど、お前の体はどこにあるんだよ。つうかさあ、何度も聞いてるけどそもそも何でお前今リングだけなの?」
「別にそこはいいんだよ。多分天界にあるはずだから」
「いや、でもお前深い理由があるとか何とか言ってただろ?」
うっ……‼ しまった‼ あれは流れで言っただけなんだけどなぁ~。でも仕方ない。天界に帰るためにはこのくらい我慢しなければ。
「はあ……分かった。説明する。私たちの住む天界が世界に対して果たす役割の一つ。それが、この世界に幸運を届けることなの。そしてそれは、主が作った『幸運の星』を世界にばらまく事によって行われる」
「ふぅん。ちゃんと神様っぽいことしてるんだな」
 コイツの不遜な態度はとても気に食わないが、話を先に進めることにする。
「それで、『星流し』の役職についている天使達が『幸運の星』を地上に流すことになっているんだよ。つまりそれが『願いが叶うとされる流れ星』の正体。実際には百発百中で願いを叶える程の力があるわけじゃないんだけどね。私は昨日、そうやって流れていく『幸運の星』達を少し下から眺めてたの。とても綺麗だったな」
 昨日のあの情景を思い出すと今も心がときめく。のだけれど、少年は待たない。
「うん。それは分かったけどさ、それとお前がリングだけになってることとどう関係あんの?」
 うわぁ~、話が核心まで来てしまった。
「今言ったように私は流れ星を眺めてたんだけど、そしたら『星流し』の天使がうっかり手を滑らせちゃって。こっちに落ちて来た『幸運の星』は丁度上を見上げていた私のリングだけを引っ掛けてそのまま地上へ流れていったの」
「……単なる事故だな」
「うん」
「……特に深い理由はないな」
「……」
「特に深い理由はないな?」
 コイツ‼ 意地悪‼ 私に何か恨みでもあるのか!?
「あ、そういやあさっき向こうでボコったヤツら追いかけてる時に、何か光るゴミ箱見たんだけど、あれってもしかして……」
「……」
「……ぷっ。マジで!?」
 何か噴き出してるので私は言ってやる。
「馬鹿にするんじゃないわよ‼ あのゴミ箱は今『幸運の星』の力で幸福を引き寄せる力が宿っているんだからね‼」
「……っ‼ くっくっくっく‼ お前それ滑稽さ増してるだけだぜ? ゴミ箱に天使ってだけでもよっぽどだっつうのになあ‼ てかだから変な臭いがしたのか! 汚ね‼」
 どうやら私は余計な事をいったらしい。流石にちょっと顔(というか感覚的にリングの正面が)熱くなってくる。
「わ、笑うなあぁあ‼」
 一通り笑い転げて落ち着くと少年は言った。
「じゃあとにかく天界にさえ帰れれば何とかなるって訳か」
 少年がこれ以上引きずらずに話を進めてくれたことには少しほっとした私だった。
「そういうこと。体さえこっちにあればいつでも帰れるのに」
「でもお前普通に飛んでんじゃん? 体無しでも帰れるんじゃね?」
 少年は不思議そうに聞く。
「さっきも言ったけど、私の本体はバッテリーみたいなもので、大したことはできないの。飛べるって言ってもこれだってあまりスピードは出せないし……」
「でもちょっとずつでも上がっていけばいつかは着くんじゃねえの?」
「そういう問題じゃないの。『天界』っていうのは何もこの世界とは全く別の所にある異世界って訳じゃない。けどただひたすら上へ上へと昇っていっても大気圏を突き抜けて宇宙に出るだけ。『天界』は空に浮かんでいる一定の広がりを持つ空間なの。厳密には違うけど、空に浮かんでいる島ってイメージするのが近いかな。で、ここが重要なんだけど、『天界』は動いている。それもかなりの速度で。だから、外から『天界』に入るのはある意味では走っている列車に飛び乗るようなものなんだよ。そして私本体だけじゃあ動き回る『天界』に追いつくだけのスピードが出せない。だからエネルギーを力に変換する事のできる『器』、つまり体が必要になるってわけ」
「その為の『器』として頼りたいのがこの俺様ってわけな?」
「そう‼ ここまで説明したんだから協力しなさいよね‼」
 私はもうヤケクソ気味な調子で言った。だって、そう言う以外に私には選択肢がない。普通に会話しているから忘れそうになるが、私は今コイツにワイヤーで囚われているのだ(泣‼)
 そして案の定というか、コイツは邪悪な笑みを浮かべて宣った。
「オイオイちょっと待てよ? 誰がお前を手伝うって言ったよ?」
 ああ腹が立つ。予定調和的な流れでのこのセリフ、本当に腹が立つ‼
「ええええぇえええ⁉ こんな可愛い女の子というか文字通りの天使が助けを求めているのにそれを無下にするっていうの!? 男ならそこは主人公になれる道を突き進みなさいよ‼」
 と私は正論っぽい事を言ってみるが、コイツは動じない。
「え? ていうかお前女だったの? 気付かなかったわ~。だって天使っていってもリングだけの姿だから‼ そして俺はレールの敷かれた主人公なんて道に興味はない。俺が進む道は俺が決める‼」
 今の最後の台詞はちょっとカッコよかった‼ カッコよかったけども‼ 私の自由を拘束しているこの状況でそれはもうただの外道だから‼ そして前半の言葉は普通に傷ついた(泣‼) でもどうせ言っても多分何の効果もないので口には出さない。
 仕方がないので私は賭けに出ることにした。
「わ、分かったわ。じゃあ、これならどう? もしあなたが私を無事天界まで返してくれたら、あなたの願いを何でも一つだけ叶えてあげる。もちろん、私の出来る範囲でだけどね」
 少年はその言葉にニヤリとした笑みを浮かべた。
「おう、物分かりが良いじゃねえか。最初からそう言ってればいいんだ。いいぜ‼ 契約成立だ。お前に協力してやる。偉大なる天使サマ」
 これは賭けだ。私を無事に天界へ帰した後、コイツが一体どんな要求をしてくることか? 私は今から不安でたまらない。コイツのことだから世界征服とか何かトンデモないことを要求してくるんじゃないだろうか? 
 これは天使という上位の存在が卑しい人間と交わした約束のはずなのに、何か私が悪魔と契約させられているような、そんな錯覚すら覚えるよ‼
「ああ、そうだ、自己紹介がまだだったな」
 思い出したように呟くとコイツは黒スーツの山を降りる(そう‼ 実はここまでの会話はずっと積み上げられた黒スーツたちの哀れな屍のてっぺんで行われていたのだ‼ 場所を変えなかった理由はここからの景色が絶景だかららしい。一体コイツはどこまで修羅の道を究めているのか!?)。
 そして近くの廃屋の壁に黒スーツ達の返り血で赤い文字を綴る。
そこには「白船征義」と書かれていた。
「これが俺の名前だ。ああ、読み方は『しらふねせいぎ』な」
 うん、何というか、「征義」と書いて「征義」と読ませるところが既に傲岸不遜だ。親の顔がみて見たい‼
 それはともかく、私も一応名乗っておく。
「私はフェー・ヴェル。ヴェルって呼んで」
「ああ、よろしくな、リング!」
「違う‼ リングって言うな‼」
「ああ分かった、リング‼」
「違うってば‼」
そんな不毛な応酬が延々と繰り返されたので、悲しいけれども私は妥協することにした。
「よろしくな、リ・ン・グ!」
「ッ‼ …………ああああもう‼ よろしく、征義!」

「いくよ。準備はいい?」
「ああ」
 生ゴミの臭いが気になるというので黒服達の一人が持っていた飲料水を漁って体(リング)をコイツに流してもらった後、私達は早速天界を目指すことになった。
私は再び征義の頭の上に滞空して光を注ぐ。
「翼と光をイメージして」
「そんなん言われなくても分かるけどな」
 そういうとすぐにコイツの背からは白い翼が出現して白い光に包まれた。
 さっきも思ったことだけれどこんな悪魔のような男に白い翼とエンジェルリングとは似つかわしくないにも程がある。
「翼、動かせる?」
「ん」
 バサバサと翼が動いた。
「問題ないぜ」
 コイツのセンスがいいのは普通にありがたいが、余計に調子に乗るからイライラは募るばかりだ。
 でもこれでやっと天界へ帰れる!
「さあ、今度こそ飛び立て人間‼ レッツゴー‼」
 征義が翼で空気を叩くと、その体がぶわりと舞い上がる。今、この男は黒服達の屍の山の頂上から飛び立ったのだ。
「おお! ホントに飛んでやがる!」
 最初はふらふらとした軌道を描いていたが、私が指示を出すまでもなくすぐに安定していった。
 町がどんどん遠く小さくなってゆく。視界を空の青が埋めてゆく。
 征義は口笛を吹いて言った。
「風が気持ちいいな! こりゃあいい‼ アニメや漫画で見るのと実際に飛ぶのとじゃ全然違うな」
 練習を兼ねてしばらく征義は辺りを旋回していた。
「人が翼を生やして飛んでるのを一般人に見られると色々面倒だから形がはっきり分からないくらい高い所を飛んで」
「はいはい、分かったよ」
 適当な相槌を打つ征義。
 上昇していく征義。
「お、あれは、今は体育の時間か?」
 なんか向こうの方に見える学校の校庭で走っている人達を見てコイツは言う。
「あれ? そういえばあなた……」
「ああ、あれ俺の学校な」
「今更だけど学校サボってたのね‼ 驚きはしないけど‼」
 コイツにとっても日常茶飯事なのか、そのまま私の言葉を流して続ける。
「飛行機とか乗った事ねえからこんな爽快な景色を眺めるのは初めてだぜ‼ ボコったヤツラで作った山のてっぺんから見る景色よりもよっぽどいいじゃねえか‼」
 相変わらず台詞の内容は物騒だが、コイツが子どもみたいに無邪気に興奮している姿を見るのは初めてだと思った。
 こんなヤツでもこういう表情を見せるのかと少しだけ感心する。
 ただ、この後コイツが昔映画で見たとかいうとんでもない台詞を吐いたことで私の気持は一気に吹っ飛んでしまったのだけれど。
「それで、こっからどうすりゃいい?」
 飛行に慣れて来たのかコイツは聞いてくる。
「とりあえずしばらく上昇して。今は微弱にしか感じられないけど、天界と同じ高度まで上がれば、天使の力を共有しているあなたにも天界を満たす主の力が感じられるはず」
「あいよ」
 私達は天井の無い青空を上昇し続ける。やがて、空を流れる雲に突っ込む。
「何か綿菓子みたいだな」
 コイツにしてはまともな例えだ。
 更に舞い上がり、雲の中も尾を引いて突き抜けた。
 ここは流れる雲の裏側。
 上から見下ろす雲は綿菓子の大地みたい。
 隙間から除く青い空は海のよう。
 その気になればここにだって降り立てそうな気がしてくるが、ここはまだ天界ではない。
「そろそろ天界と同じくらいの高さに届いた。何か感じない? 征義」
 感覚を集中しているのか、少し動きのモーションを小さくしつつコイツは答える。
「ああ、左の方から何かオーラみたいなのを感じるぜ。そう、これは漢踊高校の番長と殴り合った時のあの覇気を増幅したみてぇだ‼ 血が滾るぜ‼」
「いやああああああ‼ あなた主にケンカ売る気!? やめて‼ 私まで消し飛ばされちゃう‼」
 私は軽くパニックになる。
「別にそこまで言ってねぇけど」
「はあ……心臓に悪い。今心臓とかないけど。それならいいわ。天界はその方向で合ってる。そっちに向かって全力飛行して‼」
 征義は向きを変え、再び翼を大きくはためかせるとどこまでも広がる大空を勢いよく突き進む。 
私達は風を裂いて砲弾のように前方へと猛進する。
コイツの茶髪やワイシャツの襟元はバタバタと音を立てている。
「こんなに速度が出るのか‼ すげえスリルだ!」
「今は口を閉じてとにかく全速力を出すことに集中して‼ 向うもこれに近い速度で移動している‼ 偶然だけど私達から遠ざかる方向へ動いているから、この速度を維持し続けなければ追いつけない‼」
 返事は無い。ひたすら前へ前へと盲進する。翼は力強く風を叩く。
 そして、体にあたる風にもコイツの髪やワイシャツのバタバタという音もあまり意識しなくなってきた頃。
「おい、何か見えるぞ‼」
 前方には雲で包まれた島のようなものが見え始めていた。
「見つけた‼ あそこへ向かって‼」
「すげえな‼ 映画で見た天空の城みてぇだ‼」
「だから無駄口はいい‼」
 私達はラストスパートとばかりに力を入れ直す。
 だが見えてきたのはいいが中々近づかない。やはり天界そのものが遠ざかっているのが大きい。
 そして、更にしばらく飛び続けてようやくすぐ近くまで迫ることができた。
「やっとか‼ ぱっと見は動いてるようには見えねぇんだけどな。これだけかかるってことはやっぱ移動してんのか。どうやって中に入る?」
「そのまま突っ込んで‼ 周囲を覆っている雲を突き抜ければ中に入れる‼」
「おう‼」
 ぼふっと音を立てて天界を覆う正面の雲に突っ込む。
「ん? 何かさっき突き抜けた雲より硬い? 少し翼が動かしづらいな」
「勢いで押し切って‼ ここで離されたらまた追いかけっこになる‼」
 もふもふと音を立てながら無理やり雲の中を進んでゆく。
 何だか着ぐるみの綿の中を泳いでいるみたいだ。
 そして急にボスっと音を立てていくつかの小さな雲の塊と共に開けた空間に出た。

「やっとついたか‼ にしても、空を飛ぶってのがこんなに爽快なもんだとは知らなったぜ」
そう言って正面を見渡した征義は目を見開く。
「ここが……天界」
 一面に広がるのは雲の大地。遠くの方には雲の上に洋風の石造りの建築物が沢山建っているのが見える。そして降り注ぐ光は淡い黄金色を湛えていた。
「すげえな。これはすげえ‼ ゲームの中の世界みてえだ。それに何か、空気の感じが違う」
 全く、語彙の無い男だ。
「当たり前でしょ!? ここは我らが主の座す聖域なんだから‼」
 けれどそんな私の言葉は耳に入っていないようで、
「雲の上に家が建ってやがる……」
「うん。ここの雲は足場にもなるからね。だからさっき突き抜けた雲も自然界のものよりも硬かったの。あなたも下に降りて大丈夫だよ」
私が言ってやるのだけどコイツは構わずに降りないで私達の聖域を眺めている。
今まで散々振り回されていた私だったが何か勝った気がする‼ 存分に見とれているがいいわ‼
「金の色をした光とかどう考えても自然光じゃねえよな。いや、それ以前にここ、外から見た時はこんなに広く無かったはず。あんなとこまで家が建っているような大きさには見えなかったぞ?」
 その辺はコイツが不思議がるのも無理はないだろう。
「天界の内部の空間は引き延ばされているからね。外から見た時は小さな島くらいにしか見えないけど、実際に内部に入ればオーストラリア大陸くらいの広さはある。それにこの空間は主によって外側からは隔絶されたものになっているの」
「どういう意味だ?」
「例えば、ここは天界の中でも上層じゃないから上の方には雲が沢山漂っているでしょ? だからここからは太陽が見えない。そう思うかもしれないけど、実際にはそうじゃない。天界の最上層に行っても太陽はこの天界の中にいる限り見えない。つまり、外界の光はこの世界に侵入できない。そしてそれは空気や他の物質についても同じ。基本的に外の物質は一切こちら側に入って来ることはできない。ただ、この世界の中でも外壁となる雲の無い層の端に立てば外の世界は見れるんだけどね」
「……じゃあ何でここはこんなに明るいんだ?」
「だからそれは、ここが主の生み出した光によって満たされているから。光だけじゃない。空気も植物も動物も全てがこの世界で主によって生成されたもので、そうやってここは完璧な世界として完結している。というかそもそも、私達が『天界』と呼ぶモノの定義は主のいる座標を中心とした一定の範囲に形成されている異質な空間の事なんだよ。だからこそ、この宇宙の中でこの地球の上空の小さな範囲に存在している小さな存在であるにも関わらずわざわざ『天界』なんて大仰な名前がつけられているんだからね」

もうしばらくこの世界を眺めた後、ようやく征義はゆっくりと下降して雲の上に足を着ける。
「ああ、やっとここまで来た‼」
 私は遅れて安堵の息を吐く。
「もふもふしてるな。歩きにくそうだ」
 そんな風に言いながらコイツは足踏みしている。
「それにしても、中にいても全然天界が動いている感じはしないな」
「うん。でも別にそんなに不思議な事じゃないよ。大体、地球そのものだって実際はかなりの速度で動いているけれど、地球にいる私達はそれを実感することはないんだから」
「つうかそもそも何でわざわざ天界を動かす必要があるんだ? それさえなければ簡単にここまで来れたってのに」
 コイツは不思議そうに聞いてくる。なので私はちょっと見下しつつ答えてやる。
「何てったって私達の主は世界の主よ? だからちゃんとこの世界を隅々まで見て回らなくちゃならないの。例えばさっき話した『幸運の星』だってきちんと世界に公平に流さなきゃならないしね」
「何つうかめんどくせえんだな、神様ってのも。ま、別に俺は面白かったからいいけどな」
 何となくここで長々と話してしまったが、まだ目標が完全に果たされた訳ではない。                       私の体を探さなければ。
「ほら、もたもたしてないで! さっさと私の体を探すわよ」
「へいへい。場所分かるのか?」
「大まかな位置は大体この辺りだったはず。ただ、『星流し』が行われるのは上層の方だから、上に昇って」
 私達は再び飛び立って上の方へ昇ってゆく。上昇してゆくと雲が途切れて青空が見えている所が多くなってゆく。
「上層のほうでも、あんな風に雲が途切れて外が見えるようになっている所で『星流し』は行われる。だから上の方に行ったら青空が覗いている所に注意して」
 頷く征義。
 翼を羽ばたかせながら、コイツはふと気づいたように質問する。
「そういやあ、これお前の体見つけたら俺はどうやって帰ればいいんだ?」
「私の体を見つけて万全の力を取り戻した私があなたを抱えて地上まで降りる。それでいいでしょ?」
「いや、お前の体は俺を抱えて地上まで飛ぶ程の腕力あんのか? よっぽどのムキムキな体してるっつうんなら別だけど」
「…………。大丈夫‼ 頑張るから‼」
「ハッ‼ まさかお前ムキムキマッチョなプロレスラーみてぇな肉体してんのか!? 天使ってのはもっとこう美形なもんだと思ってたんだがな」
「違うよ‼ 違うからね‼ やめて‼ 変な妄想しないで!」
 コイツの中で何かとんでもない私が想像されている気がして必死に止めにかかる。
 我に返って意識を外に向けてみると、目の前の風景の感じに見覚えがあるのに気付く。昨日の夜から時間が経って少し雲の形も位置も変わっているが確かこの辺りだ。コイツと会話している間に上層まで来たようだ。
「もういいわ征義。あそこに見える雲の上に降りて」
「あれか」 
 私達は三日月みたいな形で漂っている雲の上に着地する。
 ここが端だからか、黄金の光も弱くなっている。
 そしてここからは青空の海が見渡せる。かなり下の方には自然界の雲が浮遊しているのが見える。
「おお! これはこれで飛びながら見るのとはまた違う良さがあるな」
 修学旅行に来た子どもかコイツ!?
 とはいえもう少しの辛抱なので少し待って捜索を開始する。
 それ程広くはないので、すぐに一周できてしまったのだが、
「誰もいねえじゃねえか」
「あっれ~? おかしいな。ほら、あのちょっと上の方に小さめな雲が浮いているでしょ。あそこから星を流してるのを見てたんだけどな~」
私は困惑しつつリングを傾げる(首を傾げる的な動作だよ‼)。 
「そもそもここに来てから一人も天使を見かけてねえけど、ホントにここに天使が住んでんのか?」
「ここ、天界の中って言っても端っこだからね。大多数の天使は向こうの街に住んでるの。主の命が無ければ基本的に天使がここから出ていくことはないし、警備兵みたいなのもいるっちゃいるけど、もっと町に近い方。そもそも、外界から部外者がやってきても主の力で認識を誤魔化されたりしてこの座標に天界が存在することを特定する事も実際に侵入することもできないようになっているから」
 私は見落としの可能性を考えて体(リング)ごとぐるぐると回りつつ周囲を見渡しながら続ける。
「だから、こんな辺境にやって来るのは、『星流し』の天使達か私みたいなもの好きか、あとはふざけてやって来る子天使達くら……い?」
 その時、私は目撃した‼
 私の体を‼
 しかも何かその周りに裸の子天使達が群がってキャッキャ言いながら翼をぱたぱたさせてどこかへと運ぼうとしている。子天使はよく肖像画とかに描かれている裸の赤ちゃん天使を思い浮かべれば分かりやすい。
 私が見たのは彼らの群れの隙間から除いていた私自身の美しき顔だった。
 久しぶり‼ 私の体!
「征義‼ あっち! あっち! あっちに行って‼」
「ん? 何か小っちゃい天使が一杯集まってるな」
 ああもう呑気な奴だ‼
「だから、あの子天使達が運んでんのが私の体なの‼」
「うーん、隙間が……。よく見えねえな」
「いいから‼ とにかく追いかけて‼」
 征義は翼で強く風を叩くと勢いよくそちらに向かう。
「あんのガキどもめ‼ きっと私の本体が不在なのをいいことにして私の体の顔中に変な落書でもして街中に晒すつもりなんだわ‼」
 そう。この前も私の友達のレリエルが寝ている間に顔に落書きされて恥ずかしい目にあっていた。
 寝ていたレリエルですらあんな事になっていたのに最初から目を覚まさないと分かっている私の顔には一体どんな惨状が描かれることになるというのか!?
「あいつらから私の体を奪い返すのよ‼」
「おう!」
私達はぐんぐん子天使達に追いついてゆく。
天使といってもあいつらは子どもだし、他の天使を一人抱えている状態では大した速度も出せないのだろう。
あいつらも努力はしているようだが距離は縮まるばかり。
「おら待てテメエら‼ ソイツをこっちに寄越せ‼」
 すると逃げ切れないと観念したのか、あるいは追いかけてくるコイツの悪魔の形相に恐れを成したのか、子天使達はキャーとか叫びながらちりぢりに逃げてゆく。
よし、これで私の体が……
「よし、とりあえず一回あいつら全員殴り倒そう‼」
 コイツは何と解放された私の体に目もくれずに子天使達を追いかけ始めた‼
「何でええぇえええ!? 別にあなたあの子達に恨みとかないでしょ!? サタン‼ 悪魔‼ あんな可愛い子天使達に暴力を振るおうとするなんて!?」
「いや、お前普通にあいつらに『ガキども』とか容赦なく言ってたじゃねぇか!」
「黙らっしゃい‼ というかそれよりも私の体を‼」
「ああ、そうだったな。ワリィワリィ。だかこっちはお前らみたいな天使サマじゃねぇんだ。逃げ回る弱者どもを見たら取り合えず追いかけてミンチにしたくなる。それが人間ってもんだろう?」
「いや違うから‼ それだけは絶対に違うから‼ そんなんだったらとっくに主に滅ぼされてるから‼ 一体あなたの中で人間という生き物はどんな鬼畜なの!?」
 最早コイツは根本的に分かり合う事のできない生物であるような気がしてくる。しかし今はそれどころではない‼
「はあ……はあ……だから、それよりも、私の体……を……? ………………」
「あ……」  
 私の体が解放された空間に、私の体は無い。子天使達が放して私の体は落ちていったのだから、それは当然だろう。しかし問題はそこではない。ここは、天界の辺境、最も外側であり、雲が途切れがちになっている。
 そして、私の体が解放された所の真下に雲は無い。加えて言うと、すごーーーく下の方に、何か人のような形をした物体が段々小さくなってゆくのが見える。
「うわあああぁあああああ‼ 私の体があぁああ!? まずいまずいまずいまずいこれはホントにマズイよヤバいよ主に怒られちゃうよ~~~~~~~‼」
もうヤケクソパニックだ‼ リングの身だけど涙が出せたらきっと辺りは洪水になっている‼
「ど、どうする? 追いかけるか?」
 流石のコイツもちょっと気まずそう。
「もう‼ あなたが子天使達を追いかけたりするから‼ 早く私の体を追いかけて‼」
「おう!」
 と、すぐそこに落ちている物が私の視界に留まった。
「あ、ちょっと待って‼」
「おう!?」
 翼を羽ばたかせかけた征義がビクッと動きを止めた。
「そこに落ちてるそれだけ拾っていって‼」
 そして私達は一転して地上へと急降下してゆく。
 ああ、せっかく天界まで戻って来たのにまた逆戻り(泣‼)。

「う、う、私の体……」
そして、結局私達は落ちてゆく体に追いつくことは出来なかった。気付いた時点でかなり距離が離れていたのが大きかったのだろう。早い段階で見失ってしまったのでどこへ落ちたのかもはっきりとは分からない。
 今はさっきまで天界があった場所の真下に当たる所の地上を捜索している。何か高層ビルとかが一杯並んでいる。
「なあ、お前の体、地上に激突してぐちゃぐちゃに潰れてるなんてことは……」
 コイツがちょっと下手に話してくるのは気味がいいのだが、代償が大き過ぎる。
「ぐすっ……。それは無いと思う。本体が一緒にある時は常に体のほうも天使のエネルギーで満たされているのだけれど、それは本体のリングと離れてもすぐに失われる訳じゃない。だから多分残留した天使のエネルギーに守られて無事なはず」
コイツはちょっとほっとした様子だ。最も、それは私の身を案じているのではなくて契約がおじゃんになるのを心配しているだけなのかもしれないけど。
「……そうか。それは良かった」
コイツはほっとしたように言うと続ける。
「なんか……腹減ったな」
 捜索を続けていると、コイツは唐突にそんな事を言って地上に向かう。
「え? ちょっと、私の体は?」
「ん? ほら、よく言うだろ。腹が減っては戦はできぬって。昼飯食ってからな」
「待ってよ‼ そんなもたもたしてたら……」
「うるせえなあ」
 征義はちょっと人気の無い所にこっそりと降りると表通りに出ようとする。
「ちょっと待って‼ このまま人前に出たら目立つってば‼」
 私が言うとめんどくさそうな声が帰って来る。
「ああ~、じゃああれだ。お前ここで待っとけ」
「え? 私を置いてこのまま帰る気じゃないでしょうね!? 私もついてく‼」
「どうやって?」
 声がちょっとイライラし始めている。
「あなたのズボンのポケットに入ってくから‼」
「……は? どうやって?」
 同じセリフだけど今度はちょっと唖然とした声色だ。
「天使は自分のリングの大きさを変えられるの」
 言いながら私が念じると私の体は円形を保ったままみるみる縮んでいく。
「へえ。そんなんできるのか」
「小さくなることしかできないし、光ってる事には変わりないからあんまり隠れたりするのには使えないけどね」
 そうこう言ってるうちに私の体は直径10センチくらいまで縮んだ。
 私はコイツのポケットにも潜りこんで、一緒に通りにでていく。
 征義は辺りを見回す。私もポケットの隙間から微妙に体を出して辺りをうかがう。
「うーん、丁度いいコンビニがねえなぁ。もうあそこでいいか。なんか食えるもん売ってんだろ?」
そして、私達はHyper Fruity と看板に書かれた建物にやって来た。
店の中に入ると、メロンやミカンや桃や柿、リンゴなど大量の果物が陳列棚に並んでいる。わりと人気なのか、結構人がいる。
 色々な果物が並んでいる様子を見ているとなんとなく私の住んでいた天界の最上層にある『楽園』を連想する。
更にそのままの新鮮な果物以外にも果物味のゼリーやジュースなんかも沢山置いてある。ここは果物関係の食べ物なら何でもあるところみたいだ。
「おお、色んなのがあるなあ。というか値段の幅がおかしいだろ? こっちの苺は人パック三百円でこっちのは一個五万円でどうなってんだ?」
 コイツは並べられている苺を見比べながら言っている。
「ねえ、あんまりゆっくりしないでよ。というかあなた値段とか気にするんだね。なんかお店の人とか普通に殴り飛ばして商品奪っていきそうなイメージだった」
 私が何気なく言うと、コイツは名案を聞いたような表情を浮かべた。
「そうか。それなら金払わなくていいな。そうするか?」
 バキバキと拳を鳴らす音が響き始める。
「え!? 違う‼ 私そんなつもりで言ったんじゃないの‼ やめて‼ 謝るからやめてええええええええええええええ‼」
 すると私の言葉を聞いて考え直したのかコイツは拳を降ろすと、
「まあそうだな。ここで警察とかと殴りあう展開になるとめんどそうだしな」
 はあ……。コイツが一体この先のどんな血みどろの展開を想定してたのかは分からないが、どうやら思いとどまってくれたようだ。
 気付くと周囲の人たちがこちらに変な視線を向けている。
 一瞬どうしたんだろうと考えそうになるがすぐに気づく。私が大声を出したからだ。
 多分周りからは高校生が一人で変な声を出して一人事を叫んでいるようにしか見えないと思う。
 ちょっとコイツに悪かったかなと私は反省したが、特に征義に気にしている様子はない。
 代わりにコイツは周囲の客を一度殺意漲る目線でギロリと睨みつけた。それだけで誰もこちらに目線を向けなくなったのだった。
 征義はリンゴを二個手に取ると並んでいる列の後ろにつく。
 待っている間、なんとなく辺りを観察していると、とっても華美なイラストでゼリーが描かれたポスターが壁に貼ってあるのに気づく。
『年に一度春だけの限定販売‼ 果汁30%ウルトラフレッシュオレンジソーダゼリー☆ 来春を待て‼』
 と書いてある。なんだかこういうのを見ると地上の食べ物も食べてみたいと思うのだけど、どの道体が無いのでたとえ手に入っても食べられない(悲)。
 そのポスターを眺めているうちに順番が来たようだ。
 征義はお店の人にお金を渡そうとしてポケットに手を突っ込む。丁度私が入ってる方のポケットに。
(うわ‼ 暗い‼)
 私はコイツの手に押し込まれてそのままポケットの底に沈められる。
 コイツはお金を探り当てるとそのまま手をポケットから出す。
 ここで私は何か変な臭いがするのに気づいた。
 なんか鉄っぽい臭いがする。さらに言うと私の体がポケットの底の濡れたものに当たっているような気がする。
 これが何だろうと考えてみるが暗くて分からない。
 そうしているうちに、
「ありがとうございましたー」
 という女の人の声と、自動ドアが開くウイイーン、という音がした。
 多分この店の外に出たのだろう。
 そして再び人気の無い所に戻って来る。
 私はコイツのポケットから出て元の大きさに戻ると聞いてみる。
「ねえ、何かあなたのポケットの中変な臭いがするんだけど、あれ何? しかも濡れてるし」
「ん?」
 コイツがポケットの底の方をまさぐると、そこから出てきたのは赤いハンカチだった。
「……これ、もしかして」
「ああ忘れてた。そういやあさっきの殴り合いの時勝手に借りて血を拭ったハンカチポケットに入れっぱなしだったわ」
 その赤は血の色だった。元の色が何色だったのかは最早判別不能だ。
「ぎゃああああああああああああ気持ち悪い‼ あ、あなた一体なんてところに私を入れているの!?」
「いやお前が勝手に入ったんだろうが。……お、このリンゴうめえな」
 コイツはリンゴを頬張りながら言ってくる。
「う……。そ、それよりも、早く私の体を……。ああ、いつになったら私の体は戻って来るの?」
「大丈夫だって。これからゆっくり探してやるから」
 コイツはそんな風に呑気に宣うが、
「ダメ‼ それじゃダメなの! 本体であるリングとの接続を失った器は常にエネルギーの供給源でもある魂を求めている。そしてそれは地上に溢れる人間の断片的な思念の集合でも代替できるのだけど、地上を漂う思念が温かいものばかりであるとは限らない。というよりむしろ力を持つのは暗い負の感情であることが多い。だから大抵、地上に落ちた天使の体を支配する事になるのは黒い感情」
 私は少し間を空けて続ける。
「そして、そうやって黒い感情に支配されてしまった天使の器を、私達は堕天使、あるいは悪魔と呼んでいるの」
「じゃあ、放っておくとお前の体が悪魔になっちまうってことか?」
「そう……。私の体が、悪魔に……。うあああああぁああ‼ 主に怒られるよ~~~‼ ぐすっ」
 捜索は今までもしていたけれど、実際の所あまり当てはない。私の器に残留する天使の力を辿ることは不可能ではないけど、それでも天界が発する力と比べれば微弱すぎてかなり曖昧な所までしか把握できない。それに空からの捜索では人間にはっきりと視認されるような高度は飛べないのも大きい。
 かといって地上から探すには当てがなさすぎる。
 つまりこのままだと私の体が悪魔化するのを待つしかないのだ(泣‼)。
 私が自身の体を案じていると、コイツは明るい声で言ってくる。
「そう落ち込むなって! 要はお前の体が悪魔に変わっちまう前に見つけりゃいいんだろ?」
「べ、別に落ち込んでなんかないんだからね‼」
「しゃあねぇな。俺も全力で探すからよ。元気出せって、ヴェル」
「う、うん」
 何か急に元気づけてきたのはちょっと不気味だけれど、初めて名前で呼んでくれたことには少しだけ心が緩みそうになる。
「……ってだから落ち込んでなんかないってばもう‼」 
「そうか。それならいいけど。ま、お前の体が悪魔になったら契約も水の泡になっちまうかもしれないからな」
 やっぱコイツこそ悪魔‼

***
 
一方その頃。
フェー・ヴェルの器はとある路地裏の光輝くゴミ箱の中に頭から垂直に突き刺さっていた。移動する天界はこの辺りからは既に離れ始めていたのだが、奇しくもヴェルの体が本体(リング)と同じ場所に落下したのは彼女の体の中に残留していた天使の力とゴミ箱に宿った幸福を呼ぶエネルギーが互いに反応したからかもしれない。
聖なる力は引かれあう。
そして、そこに現れた影が一つ。
“what is this? ” (これは何だ?)
 メイソン・キャンベル二八歳(独身)。アメリカ生まれ。服装は黒のスーツ。
 年齢=彼女いない歴だ。
 彼は幼少期にちょっとしたケンカで友達を失い自暴自棄になり万引きを犯して以後度々警察のお世話になり現在では裏稼業に就いており日本には薬物の組織的な違法取引でやってきていたのだが裏路地でであった謎の怪物高校生に暴行を受けて片目を腫らしていたり鼻から血を流したり散々なことになっていたのだった。
 彼がこのゴミ箱の前にいる理由は単純。
 彼が一緒に暴行を受けた仲間達の中で現在唯一意識があってかつ動ける状態だったのでどうしようかと悩んでいると近くで、
ズドゴオオオオォォォン‼
 という何かがものすごい勢いで落ちて来たような落下音がしたのでとりあえず様子を見に来たのだった。
 そして彼は目撃した。
 光輝くゴミ箱から飛び出す少女の足を‼
 メイソンがそれを少女だと断定したのはその脚の美しさと彼の妄想による所が大きかった。
その脚は折れることなく天へと立脚している。
夢などとうに捨てていたはずだった。あの幼少期のケンカの時から。
しかしこの光輝くゴミ箱とどこかの映画で見たような空から降って来た少女。
あまりにもイレギュラーで幻想的なこの光景に彼は再び夢を見てしまった。
そして彼は妄信した。
これはきっと天の恵みなのだと‼
そう考えるに至ったメイソンはひとまずこの光り輝くプレゼントボックス(ゴミ箱)に体を埋めた少女の体を掘り出してその顔を拝もうとする。
けれど、彼は知らなかった。
『幸運の星』によって加護を受けたこの輝くゴミ箱は魔を退ける結界のような役割を果たしており、それは一つの聖域と化していたのだという事を。
そして、その聖域に守られていた天使の器をそこから外へ出すことが何を意味するのかということを。

 果たしてメイソンの夢の行く末は!? そしてヴェルは体を見つけ出すことができるのか!? 続く‼

◎  ◎  ◎

 私達は未だ体を発見できてはいなかった。
 闇雲に探していても埒が明かないので、微弱でも僅かに生じる天使の力の強弱を辿って少しずつでも力の発生源に迫ろうと感覚を集中して辺りを旋回していたのだが、あまり効果はなかった。
もしかしたら私の体はここからかなり離れた位置にあってもっと力の検索範囲を広げなければ強弱の差を見出すことはできないのかもしれない。
征義も力を尽くしてくれているし、それは素直に嬉しい。
しかしこうした天使の繊細な感覚が必要な作業ではやはり流石に人間であるコイツの感性では掴みにくい所があるようだ。
「征義。一度どこかに降りよう。やっぱりこの方法でも見つけるのは難しいかもしれない。捜索範囲を広げるか、あるいは捜索方法そのものをもう一度考え直した方がいいかも」
「分かった」
 征義がそう言うと私達は近くにあった高層ビルの一つの屋上の上に降り立つ。
「だがどうする? 何かいい方法があるのか?」
「……力の探知がしづらいのは、もしかしたら私が最初に落ちたゴミ箱から発する『幸運の星』のエネルギーと私の器から発するエネルギーが重なり合っているからかもしれない。あえて一度あのゴミ箱の所に戻って『幸運の星』のエネルギーの発生源に立って別の方向からやってくるエネルギーを探知した方が見つけやすくなるかも」
 征義はあのゴミ箱が置かれた路地がある方角を振り返りながら答える。
「そうだな。その辺の理論はよく分からんがお前が言うならやってみる価値はあるんだろう。それと、器を見つけた時の為に聞いておきたいんだが、お前の体って元々どんな姿なんだ? 天界では何だかんだお前の姿をはっきり確認してねえからな」
「ん、そうね。とりあえず念を押して言っておくけど、断じてムキムキマッチョなプロレスラーみたいな体はしていないんだからね!」
 あの発言は結構気にしていたことなのでここでもう一度言っておく。
「……」
「…………征義?」
 無言で黙り込んでしまう征義の姿に一体コイツは私のどんな姿を想像しているのか心配になってくる。
 しかしやがてコイツは乾いた笑みとともにちょっと震えた声で喋り出した。
「…………おい? もしや、あの禍々しい殺気を放っているのは……」
 しかも何か冷汗がぶわっと顔に浮かんでいる。
「?」
 コイツの目は遠くの方なんて見ていない。つまりあの裏路地を意識していない。もっと近く、道路を挟んだ向かいにある高層ビルの屋上を見ていた。
 直接見るまでもなかった。
ゾワリと、何か殺気か、瘴気のようなものが体に突き刺さるのを感じる。あるいは両方だったのかもしれない。
 そして私は、そちらを振り返った。
「わあああああぁあああああああ⁉ 私の体がああああああああ⁉ 堕天使に‼ 悪魔になってるうううう⁉ 終わった終わった終わった終わった主に怒られるの確定だよ~~~~~~~~‼」
 道路を挟んだ向かいのビル、その屋上に佇むのは、変わり果てた姿をした私の体だった。
 その燃えるような血の色をした瞳は獣のような鋭さで冷徹にこちらを見据えている。美しい顔立ちは私の元の姿そのままに、しかし精気のない白い顔は死人を思わせた。
服装は長袖のワンピースに腰帯で衣擦れを防いでいるようなものだったが、それもくすんだ灰色をしていて囚人、あるいは罪人を連想させる。
肌の露出している部分はやはり死人のような異様な白さを晒し、肩まで流れるような髪は荒廃を思わせる灰色だ。背中から飛び出す漆黒の翼は世界を闇で覆い尽くそうとしているかのような錯覚すら覚えさせる。
それは形だけ見れば美しい女性の姿だったけれど、単純に「美しい女性」と受け入れてしまうにはあまりにも抵抗が強すぎる存在。当の体の持ち主だった私でもそう思ってしまうくらいに。
そして堕天使は、その体にゆらゆらと揺れる禍々しい紫色のオーラのようなものを纏っていた。
「……お前、あんな姿だったのか。ワリィ。ちょっとナメてたわ」
 と、征義は何か負けたような顔で見当違いな事を言ってくる。
「わあああああああ‼ やめて‼ 見ないで‼ 違うの‼ 違うんだよ⁉ 本当は私の髪は輝くような金髪で肌も透き通るように血色がよくて、瞳は宝石のような緑であんなに目つきも悪く無くて……うん‼ とにかくアレだよ‼ 私の体はホントはあなたなんか恥ずかしくて目も合わせられないくらい綺麗で可愛いいんだからね‼
あ、後付け足すと服も元々清楚な白色で今は無地に見えるけど本当は袖の所とか美しい刺繍がしてあったんだよ⁉ 全部あの堕天使の瘴気のせいで変わってしまっただけなんだから‼」
 私は必死に弁明をするのだけど、コイツはむしろ意外そうな顔で、
「そうか? 俺はあっちの方が好きだぜ! だってほら、強そうじゃん」
「はい?」
 そしてコイツは何か目を輝かせて宣う。
「いやあ、漆黒の翼を持つ堕天使なんてゲームの中でしか見た事ねえからよお……。しかもスゲエ迫力あるし。また一個面白いもんが見れたぜ。ああいうのに夢とロマンを感じるものなんだぜ‼ 男ってのは‼」
「いや今男の夢の話なんてどうでもいいわ‼ ていうかその夢の為に私の体が犠牲になってるの分かってる!? もうあなたがそんなの気にしてくれるような人間じゃないのは理解してるけども(泣‼)。」
 そしたらコイツは、清々しい笑みを湛えて言った。
「うん。……何か、もうよくなってきた」
 え?
「だってほら、ここまでスゲエ色んなもん見れたし、貴重な体験もできたしよ。まあ、お前との契約が水の泡になって願いが叶えられねえのは残念だけど、棚から落ちた牡丹餅みてえなもんだったしな。ここで終わりにしたって、それでもこれからの俺の人生凄く充実したもんになると思うんだ。ありがとな」
「ってえええええええええええ⁉ ここまで来て私を見捨てるの⁉ あなたの人生はよくても私の人生はどうなるの⁉ 体を失って主にも怒られて多分天界を追放されてこのリングだけの姿で地上を彷徨えとでも言うの⁉ 酷い‼ 酷すぎるよ‼ うわああああああああん‼ 悪魔‼ 悪魔‼ 最低‼」

「おい。もういいか?」

 突然割り込んだその声に私はビクッと体(リング)を震わせる。ドスの聞いた低い声。そう、向こうのビルに佇む堕天使が発した言葉。ああ、声だって、私、あんなじゃないのに。
 でも、この長々としたやり取りを待ってくれていたのだ。意外と礼儀正しいのかなこの堕天使さん?
「お前がこの体の本体か?」
 礼儀正しい堕天使さんは問う。
「そ、そうだけど」
「そうか。……なら殺す‼」
「え⁉」
「疼くんだよ‼ この体が。愚かにも馬鹿な人間があの『聖域』からこの体を外へ出してくれたおかげで私はこうして天使の器を手に入れることができた。そこまでは良かった。だが、この体が訴えてくるのさ。お前は違う、本来の持ち主じゃない、とな。この器を手に入れてからずっとお前の力を感じていたよ。それを辿ってここまで来たのさ。この器はお前の存在を求めている。だから、ここで消し去る‼ それで私のこの疼きは消えるはずだ」
 違った‼ 礼儀正しくなんかなかった‼ ただ私達を観察して私があの堕天使の体の本来の持ち主か確認していただけだった‼
「どうしよう? 征義」
 私は不安になって思わず呟いた。
 そしたら征義は私の言葉を無視して堕天使に呼びかけ始めた。
「おーーーーい堕天使さーん? もう契約も切れたんで、こんなリングいくらでも差し上げますから何かカッコイイ技の一つでも見せてくださいよー」
「ちょ、待……⁉ あなた、こんなか弱い女の子が殺されようとしているのを見捨てる気!? しかも正真正銘天使の女の子を‼」
 私は愕然としながらも必死になってコイツのあるのかどうかも分からない良心に訴えかけようとする。
「ああ? うるせえなぁ。だからお前リングだけだから全然女の子に何て見えねぇっつの‼」
 そう怒鳴ると征義は手を頭上にやって私の体(リング)をがっしりと掴んでしまった。今度は捕まえるためでなくて、突き放すために。
 そして征義は無理やり私の体を引っ張って頭上から引きはがそうとする。
 因みに天使の力を共有している間は磁石のように見えない力で共有相手の頭上の空間と繋がっていて、簡単には位置がぶれないようになっている。高速で飛行しても本体(リング)だけが置いていかれたりしないのはそのためだ。
 私もその力にすがって必死で抵抗する。だって死にたくない‼
「おい放せよ‼ お前を差し出さないとあそこにいる堕天使さんが必殺技を見せてくれないだろ?」
「ふんぐぐぐぐぐ……‼ イ・ヤ・ダ‼ 絶対離さない‼ ていうかあなた私を差し出してあの堕天使が私を殺す所を見て楽しむつもりなの!? 外道‼ 鬼畜‼ 悪魔‼」
 私の滞空位置がズレて征義の翼が消えたり現れたり不安定になっている。
 今はそれどころではないのだけど、出会った最初の時は必死に征義の頭上から離れようとしていたのに今は全力で留まろうとしているのが何とも皮肉だった。
「ほら‼ 放せって‼」
 なりふり何て構っていられなくて、私はもう涙声になるのも構わずにまくしたてる。
「やだやだやだやだまだ死にたくないよぉ~~~~~~~~~‼ こんなところで‼ こんな形で裏切られて死ぬなんて‼ 私だってまだ先があるんだから‼ 友達とももっと沢山お話したり遊んだりしたいしもっと主の役に立てるような天使になって褒められたいしもっと世界をよりよくしたいし、それに、それに憧れてる天使だっているんだから‼ それなのに‼ それなのに酷いよ‼ こんなの‼ あなたはどうしようもなく暴力的で‼ 残酷で‼ 無遠慮で‼ それでも少しは、少しだけは心を許していたのに‼‼ 信頼していたのに‼ ……怖いよ‼ まだ死にたくないよ‼ あなたなんか、あなたなんか‼ 悪魔悪魔悪魔アクマアクマあくまあああああああああああああ‼」
 そんな風に罵倒するのが精いっぱいで、そんな言葉に心を集中しすぎたのがいけなかったのかもしれない。
「あ」
 スポン‼ と。そんな音がしそうな子気味良く。私の体は征義の頭上からすっぽ抜けた。
 ああ、終わった。私はきっと、ここで死ぬんだ。怖いよ。辛いよ。悲しいよ。苦しいよ。まだ死にたくなんかないよ。未練だらけだよ。天使だからってそんなに潔く消滅を受け入れたりなんてできないよ。醜くたって何だって構わないからまだ足掻きたいよ。
 でも、やっぱり私は天使だからかな? あんなに罵倒したけれど、コイツを、征義を恨むこともできないよ。だって、それはきっと仕方のない事なのだから。人間は、業の深い悲しい生き物で、過ちを犯すのはどうしようもないことなのだから。私達天使とは、違うのだから。
ああ、征義はあんな人間だけれど、それでも私が消失した後も、これから先もなんだかんでうまくやっていけていたらいいなと思ってしまうのもやっぱり私が天使だからだろうか?
私は天使。主によって創造された天の使い。主に規定された「善」という名のレールを逸脱することのできない存在。初めからそんな風に設計された魂。
だからなのかな? 私がこんな所まで来ても征義を恨まなくて済むのはそのお陰なのかな?
そうだとしたら、何だかそれはひどく薄っぺらいことのような気がした。
だってそれはきっと、苦悩も葛藤もない機械のような自動選択だから。
だから私は、そうでないと信じたい。そんなことを考えることに意味なんてないのかもしれないけれど、これは本当の自分の想いなのだと信じたい。
最後は、そう信じて逝こう。
怖くても辛くても悲しくても痛くても、どの道これで終わりなのだから。
さぁ、主の元に還ろうか。

私が、そんな風に覚悟を決めた時だった。

「おい人間。お前だけは助かるとでも思っているのか?」
「「え?」」
 唐突な堕天使の言葉に、私と征義は同時に声をあげる。
「そんな訳がないだろう? 何でだろうな。理由は分からんがお前を見ていると無性に八つ裂きにしたくなる。待っていろ。ソイツを消し飛ばしたら次はお前だ」
 その言葉を聞いて私はハッとする。始めにこの堕天使が言っていた「あの『聖域』」という語。そして堕天使が何故かコイツを強く意識していること。それはつまり……
「ふん。因果応報ってやつね(笑‼)」
 私はちょっぴり見下した態度でコイツに言ってやる。
「あん? どういう意味だ?」
 怪訝な顔でコイツは聞いてくる。
「あの堕天使が言っていた「あの『聖域』」っていうのは多分最初に私が『幸運の星』と共に落ちて来たあのゴミ箱の事。『幸運の星』のエネルギーには魔を退ける力があるからね。理由はよくわからないけど、多分私の本体はまずあそこに落下して、それから何らかの経緯でそこから外に出された。そうしてそこで人間の負の感情を吸い上げて誕生したのがあの堕天使だってわけ」
「だから何だってんだ?」
「まだ分からないの? あなたはあそこで何をした?」
「何って……。タムロしてたヤンキー連中とよく分かんねぇ謎の黒服達をボコって……。……ああ、そういうことか」
 コイツにもようやく私の言ったことの意味が分かったようだ。
「そう。あなたはあそこで大量の人間をその腕っぷしで殴り倒した。あそこにはきっとそんな彼ら全員の膨大な量の負の感情が渦巻いていた。あの堕天使は多分主にその膨大な負の感情を吸い上げて一つの人格として成立している」
「……」
「つまり、あの堕天使を突き動かす心理の根っこにあなたへの復讐がある。ここで私を見捨てたらあなたもその後で殺されるだけ。どちらにしろあなたが生き残るためには天使の力を借りてあいつに立ち向かうしかない。それに、今思ったんだけど、あいつを倒せば私の体だってまだ取り戻せるんじゃないかと思うの‼ まだ契約は続いている‼ だから私に協力して‼ そうしなきゃあなたは私と二人で心中することになるだけよ‼」
 コイツが何と返答するかは予想のつかない所ではあるけれど、それでも私は生き残る為の最後の望みを賭けてまくし立てた。
「チッ。しゃあねえな。わーったよ‼」
「征義……‼」
 そう返してくれた征義の心の中にあるものは、自らの保身かもしれないし、願いを叶えたいという欲望なのかもしれないし、単なる気まぐれだったのかもしれない。
 けれど私は、それでもコイツがそんな風に答えてくれたことにとても安堵して、たまらなく嬉しく思ってしまった。このリングの体は涙なんて出ないけれど、精神的な涙腺はもう決壊していた。
「そうだよなぁ……。そうだ」
 と思ったら何か征義は俯いてブツブツと言っている。
「ぐすっ。征義?」
私が呼びかけてみるが、反応はない。
するといきなり顔を上げて、片手を顔に当てて大笑いし始めた。
「はっはっはっはっは‼ そうだよ‼ 情けねえなぁ、俺は‼ 『堕天使』ってのがあまりにもリアリティの無いゲームの中のロマンみてぇな存在だったからうっかり視聴者のつもりになっちまってたよ。でも違うんだよ‼ そうじゃねえ。それじゃ駄目だろうが‼ ワリィ、ヴェル。俺どうかしてたわ」
 何か凄く頼りになりそうなのはいいのだけれど、コイツが謝る時は大抵こっちが全然望んでもいなくて予想もしていないことを言い出すから同時に凄く不安になる。
「忘れちまってたよ‼ ホントはアイツを一目見た時に思い出さなきゃならなかったっつうのに‼ そうさ‼ 俺はああいうのと殴り合いたかったんじゃねえか⁉」
 やっぱり予想もしてなかったよ‼ こんなの予想できないよ‼ だって普通そこは「お前にあんなひどいことをして悪かった」とかそんな感じな台詞が来なきゃおかしい所だもん‼ というか心の中にあったのは闘争心だった‼
 そして征義は獰猛な笑みを浮かべて宣言する。
「さあ、行くぜ‼ ヴェル‼」
「うん‼」
 私は征義と一緒に、私の体を取り戻す‼
「準備はできたか? この体の本体と仮の器よ」
 向かいのビルの堕天使が呼びかけてくる。
「待っててくれたのか? 親切なこった」
「抵抗のできない奴をただなぶり殺しにしても面白くないだろう? 私は全力のお前を叩き潰したいのさ」
 うわあ~、この堕天使、征義のこと相当根に持ってるよ‼
「ちょっと‼ 私もいるんだからね‼」
 何か存在をないがしろにされた気がするので私も口を挟む。
「フン。真の器を持たぬ天使など、ただのリングだろう? 所詮はその男に使われるだけの道具に過ぎん」
「ハァ⁉ エンジェルリングのない天使なんてただの悪魔だから‼ それに、私にだってコイツに智慧を授けるくらいできるんだから‼」
 私も負けずに返す。
「さぁ来い‼ お前たちを叩き潰して私は真の自由を得る‼」
 堕天使の言葉に対して、征義はその獰猛な笑みを更に深めて呟く。
「イイねえ。そうだよ。そういうのを待ってたんだよ‼」
 コイツは目を爛々とギラつかせて、満面の殺意を浮かべて宣言する。

「いいぜ。やってやるよ」

 その言葉は、声量も勢いもなかったけれど、静かな闘争心がその声音の中に漲っていた。そこには断固として実行する意思の力があった。そしてそれは、戦の前の静けさを象徴するようでもあった。
 本当なら、この勢いに乗って堕天使に立ち向かっていくべきだったのかもしれない。
 しかし、この瞬間、私の恐怖のベクトルは全く反対の方向に振り切れた。
 そう、殺意満面の笑み。ギラついた目。声音の中に漲る闘争心。
やってやるよやってやるよやってやるよやってやるとやってやるよと最後に征義が発した言葉が頭の中でエンドレスでループする。
 そしてそれは、私の頭の中で次第にこう変換されてゆく。

 殺ってやるよ

 と。
 今、私は正義とか使命とか主に怒られるとかそういうのを全て忘れて心配になってきていた。
「……ねぇ、ダメだよ? あれ、私の体なんだからね? 殺っちゃダメだからね? ちゃんと丁重に扱うんだよ? …………………………わああああああああああ⁉ 私の体が危ない⁉ 殺される⁉ 私の体逃げてえええええぇえええええ⁉」
 そんな危機感溢れる私の言葉を無視する(泣‼!)と同時、両者は宙を蹴った‼
 今、遂に不良天使と堕天使の激突が幕を開ける‼








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