Fall in You
なかみゅ


あなたはどこにいるのでしょうか?
 ある晴れた日のことです。私はそのことを考えながら、生い茂る森の中を歩いていました。
 いつも通りの土と草の臭い、それに鳥の鳴き声がします。
 朝からあなたを探していたのですが、探しても探しても見つかりません。
 川にも、開けた集会場にも、木の上にも、どこへ行っても見つかりません。
 時々葉が擦れるような音がすると、私は耳をぴくぴくとさせて、期待と緊張と共に音のする方を見ます。しかしここは森の中、出てくるのは鳥やウサギやネズミのような獣たちばかりです。
 そんなことは分かっている筈なのに、もしかしたらと考えてしまうのは私のせっかちな性格のせいかもしれません。
 無駄だとは知りつつも、彼らにあなたがいる場所を知らないかと聞いてみますが、やはり徒労に終わりました。それどころか彼らは恐ろしそうな顔をして、私の試みをやめておけと忠告するのです。
 もちろん、そんなことで一度決めたことを諦めるような私ではありません。まだ見ぬあなたの姿を想像しながら私は森の中を歩き続けます。
 けれどやっぱり見つからず、もう探すところは日差しが木々に遮られて夜のように薄暗い北の森しかありません。
 そこは森の動物たちもあまり近寄らない不気味な場所だから、私も何となく避けてしまっていました。けれど、あなたが本当にいるならそこしかないと心の奥で思っていたのも事実です。
 少しためらいつつも北の森に入ると、木々は鬱蒼として広がっています。枝葉が作る天井は日の光をほとんど通しません。思っていた以上に辺りは暗く、少し先の方はもう見えません。まるで暗闇に取り囲まれているような錯覚を覚えます。
 空気はしっとりと冷たく、濃い森の臭いが、目で確認できなくても木々が密集していることを私に実感させます。
 下草は私の体ほどの長さで点々と生えていました。
 時々ざわざわと風が木々を揺らす音が私の恐怖心を煽ります。
 それだけではありません。この暗い中では木々のでこぼことした表面がまるで醜い顔のように見えるのです。
 私は少し及び腰になりながらも黙々と歩いていきました。
 時刻はもう夕暮れ。この森が本当の闇に沈む時はもう近づいているのでした。

 それから暫く探してみたのですが、やはりあなたは見つかりません。 
 薄暗い森の中は陽が落ちてきてますます不気味さを増しています。私もずっと探し続けたことに疲れて尻尾がだらんとしています。
 夜は危ないので、もう諦めかけていた時です。
 歩いていると、急に開けた所に出ました。
 そこは木々がまばらで見晴らしのいいところでした。天を覆う枝葉がなくなったのであたりは多少明るさを取り戻しています。
 そして、その開けた場所の真ん中に、あなたはごろんと横になっていたのです。
 人間のような姿をした体の大きさは、直立したらこの森が覆う天井を突き抜けてなおあまりあるほどでした。
 あなたは枝や葉をつなぎ合わせて帯のようにした物を腰に巻いています。その帯に更に枝葉がつなぎ合わされてあなたの下半身を覆い隠しています。それ以外は特に何も身に付けておりません。
 私たち動物ほどではありませんが、体中をうっすらと黒い体毛が覆っております。
 また、寝ているあなたの発するいびきは森を震わせる唸りを発し、その閉じられた瞼の裏には私の体の数倍はある目玉があると想像されます。あなたの髪は乱雑に乱れ、その髭は頬まで覆っていました。
 私はこの時、開けたこの場の一番外側の木の裏に隠れていたのですが、あなたの寝ている姿はそれだけで私を戦慄させました。
 しかし、何はともかく、私はついに見つけたのです。あなたを──────そう、私たちの伝説に語り継がれる、あの悪しき巨人を。

 私が生まれた森には、ある伝説がありました。
 それは、この森には動物たちを食らう悪しき巨人が住んでいるという話です。
 この森で生まれた動物たちは幼い頃からその伝説を聞かされて育つのです。
 なんでもその巨人は立ち上がるとこの森で一番高い木よりも背が高く、その口はどんな動物も丸のみにしてしまうほど大きいという事でした。
 けれど、それはほとんど言い伝えでしかありませんでした。私の友人に聞いてみても、親たちに聞いてみても実際に巨人を見たことがある動物は誰もいないのです。
 ある動物はこう言いました。あの巨人を見た者は必ず食われてしまうからだ、と。
 しかしそんなことに怖気づく私ではありません。私は巨人を探し、本当にそんな巨人がいるのかどうか確かめようと思いました。そしてもし伝説が本当なら、懲らしめてやろうと思っていたのです。
 それが、こうして私があなたを探し回っていた理由だったのです。

 そしてこの時、あなたを見つけ出した私はやっぱり怖気づいているのでした。尻尾が震えています。
 しかしせっかくここまで来たのです。ここで逃げては恥というものです。私は隠れていた木の裏からでると、開けたところの真ん中で寝ているあなたの方へゆっくりと近づいていきました。
 もし起きたらと思うとその足取りは嫌でも重くなります。近づくにつれあなたの醜悪な細部が露わになり、嫌悪感が助長されます。
あなたの体は不潔で、ところどころに虫がたかっており、肌も荒れているのです。
 また、遠くからでも大きかったあなたの体の大きさが、近くへ来たことと、実際の危険が増してゆくなかで更に強く実感されます。
 あなたの手の平は私の数十倍の大きさはあり、寝ぼけて私の頭上にその手のひらを振り下ろしでもしたら私の体はたちまちペシャンコになってしまうでしょう。
 ついにあなたのすぐ近くまで来ました。あなたは依然として轟音のようないびきをかいています。どうやら起きる心配はなさそうです。
私には、これはあなたを懲らしめるまたとない好機だと思われました。
しかし、そうはいっても私に何ができるというのでしょう? 私とあなたでは体の大きさにも力にも差があり過ぎました。私がこの小さな体で何をやってもあなたに痛手を負わせることなんてできないように思われました。
そうこう考えていると、草の上に落ちている一本の尖った枝が視界に入りました。その瞬間私は閃いたのです。
私は枝を拾うと、それを持ってあなたの顔をよじ登り始めました。顔一つ上るだけでも私には崖を昇るような高さです。でもあなたの肌はざらざらしていたから枝を持っていても上ること自体はそれほど苦にはならなかったのです。
それよりもあなたを起こしてしまわないかということが気がかりです。もし起こしてしまったらその大きな口で丸のみにされてしまうでしょう。
頬まで覆う髭を掴めば上るのはもっと簡単でしたが、そんなことをしたらどうなるかは想像に難くありません。
 そして、私は慎重に、ゆっくりと、時間をかけて何とかあなたの顔の上に登りました。ここまで来るとあなたが与える嫌悪感と恐怖は頂点に達し、一刻も早くどこかに行ってしまいたい気持ちに駆られましたが、思いついた策を実行に移すまでは帰れません。
 私は、この枝であなたの目玉を抉ることを思いついたのです。この時は、あなたはまだ寝ていたので、瞳は閉じられています。瞼一枚とは言え、体の大きなあなたにしてみればこんな枝からその目を守るには十分な盾といえたでしょう。
 しかしあなたが起きてその瞼を開いた一瞬なら隙があるかもしれません。あなたが眠りから覚めて何の警戒もなく目を開くその一瞬、その瞬間ならこんな小さな私でもあなたを傷つけられるでしょう。うまくいけばあなたの片目を失明させられるかもしれません。
 そのあとのこともちゃんと考えています。目覚めた直後でまだ意識のはっきりしないあなたは、不意打ちで眼玉を抉られてきっと訳も分からず混乱することでしょう。それに加えて片目しか使えない状況で、多分体の小さな私のことなどろくに視界に入らないに違いありません。
 その混乱に乗じて周囲の木々に紛れてしまえば、うまく逃げ切れるだろうという寸法なのです。もし目の痛みに耐えかねて暴れまわれられたら私にとっては命の危機なのですが、そこは何とか逃げ切るしかありません。
 私はあなたの顔の上をゆっくりと移動して閉じられた瞼のそのすぐ前に立ちました。勿論私の手は拾った枝をその瞼へと突きつけています。そしてあなたが目を覚ます時を待ちました。こちらから刺激を与えて起こしたりはしません。虫が止まっているのかと勘違いされてその巨大な手のひらで叩きつけられたらひとたまりもないからです。
 暫く待ったのですが、あなたは中々起きません。豪快ないびきは依然と私の耳を煩わせています。
 実は、あとでひどく後悔することになるのですが、あまりにも起きる気配がないので私は一度突きつけていた枝を下しました。同じ体制をしていて体も疲れてきていました。
 改めて醜悪なあなたの顔を眺めてみると、やはりこみ上げてくるのは嫌悪感でした。
 特にその大きな口を近づいて見てみると、私を一度に百匹は丸のみにできそうな気がしました。口は閉じているので想像するしかありませんが、その口内の歯はきっと、尖った岩のように大きく、私など一噛みで挽肉にしてしまうようなものがズラリと並んでいるに違いありません。
 しかしあたりの暗さはもうほとんど夜に近くなっており、そんな悠長なことを考えてはいられなくなってきました。
 夜になると獰猛な獣たちの狩の時間です。たとえあなたから逃げ切れたとしても獣の餌食になりたくはありません。そろそろ帰らないといけません。
 しかしもしかするともう少しであなたは目覚めるかもしれないのです。私は帰るべきか待つべきか決断できず、ただ焦る気持ちから自然と尻尾がふらふらと揺れるだけでした。
 その時です。地面が揺れました。いや、それは地面でなく、あなたが口を開いた揺れでした。それと共に野太い大きな声が響きます。あなたは大きな欠伸をしたのでした。
「うわっ!?」
 頭の中に葛藤を抱えていた私は不意の揺れに対応できず、バランスを崩してしまいました。手に持っていた枝が投げ出されます。前に倒れこんでゆく私の目の前に広がる暗闇はあなたのお腹の中へと繋がる入口でした。
「うわああああぁああああ!?」
 私はあなたの口の中へと落ち、そのままゴクンと飲まれてしまったのです。
 それから私は、ぬるぬるとした坂道を滑り落ちるようにどこかへと流されていきました。
「あ」
 ふと、気持ち悪い粘液の感覚が消えました。
 開けた視界に広がるのは、赤い壁と地面の世界です。
 赤い地面は遥か下の方にありました。
「ん? ああぁああぁあ!」
 手足をバタつかせてみるけれども意味はありません。再び叫びながら落ちてゆきます。
 今度は坂道どころか垂直の落下です。私の体と赤い地面がくっついた時、果たして私の命はまだここにあるだろうかと青ざめます。
「ぎゃ‼」
 そんなことを考えているうちに私は頭を赤い地面へと殴打したのでした。
 
目を覚ますと、頭には鈍い痛みを感じます。どのくらい時間が経ったのかはわかりませんが、私は落下した衝撃で気を失っていたようです。頭を押さえつつ起き上がろうとすると、地面はぶよぶよとしていて想像していたよりも柔らかいのでした。
 私はとりあえず生きていたことに安どしてホッと胸を撫で下ろしました。頭はまだ痛みますが、まだ砕けていないのはこの柔らかい地面のお陰なのでしょう。
 生臭さが鼻につきます。さっきまでは気にする余裕が無かったのか、今になって急にそのことに嫌悪感を覚え始めました。
 少し落ち着いて辺りを見渡すと、やはり広がっているのは赤い世界です。薄暗くてどのくらいの広さがあるのかはよくわかりません。
 向うの方を見ると何かが燃えています。
 一瞬ここはどこだろうと不思議に思うのですが、すぐに思い出します。私はあなたのお腹の中に呑まれたのだと。ここは、あなたの胃袋の中なのでしょう。
 一体私はどうなってしまうのでしょう? ここからでることはできないのでしょうか?
 様々な不安と後悔が私の胸に溢れます。どうしてあの時枝を下して余計なことをしてしまったのか? そもそもあなたを探しに来たことが間違いだったのかもしれない、そんな風にこのあまりに不幸な出来事を私は嘆きました。
 しかし、嘆いても何かが変わる訳ではありません。そして私はまだ生きているのです。頭を抱えてひとしきり嘆き終えると、私はともかくここがどうなっているのか調べてみようと思いました。
 ここにはお日様がないのに、薄暗いとはいえ周囲が見えるのは向こうにある燃えている何かのお陰です。
 近づいてみてみるとそれは木の棒のようなものでした。先っぽが燃えています。
 こんなところにどうしてそんなものがあるのか不思議でしたが、ともかくこの火のお陰で周りが見えるので、それ以上深くは考えませんでした。
 それからあたりをよくよく見渡してみると、なにやら点々と緑色のものが積み重なっているのが見えます。近づいてみるとそれは木の枝や葉でした。木のみがついているものもあります。
どうしてこんなところに木々の枝葉があるのか少し不思議に思いましたが、ここはあなたのお腹なのです。あなたが食べたものの欠片が残っていてもおかしくないことに気付きました。
 木の実を見て私はお腹がグルグルと鳴る音を聞きました。今まではあまりのことに食事のことは忘れていましたが、食べ物が目の前にあるのを見てようやく空腹を思い出しました。
 木々の枝葉はバキバキと折れてはいますが、それほど元の形を失ってはいません。木の実も綺麗なままです。
 あなたの大きな体にはこれで十分吞み込めるサイズなのだと思います。
 私は山になっている枝葉になった赤い木のみを美味しくいただきました。
 食事を終えると今度は喉が渇いてきました。食べた物がここにあるのだからきっとあなたが飲んだ水もここに残っているに違いないと辺りを見回してみます。
 広がっているのは赤い世界ですが、目を凝らしていると、何か池のようになっている部分があります。そちらからはぐつぐつと不気味な音が聞こえてくるのです。
 私は気になってぶよぶよとへこむ地面の上を歩きながら近づいてみました。
 目の前までくると、そこは大きな湖のようになっていました。中の液体は少し濁っているけれども透明に近く、それはボコボコと泡を立てながら煮えたぎっています。
 水が飲みたかったのですが、どう見てもこれは飲んで五体満足でいられる気がしません。
 私はその液体に指をつけてみようとしました。
「熱っ‼」
 指先が液体に触れた途端、私は痛みを感じて手を引っ込めました。指先はジュウゥと音を立てて白い煙なのか蒸気なのかよくわからないものを立てています。
 そこで私はようやく気付きました。これがあなたの胃液であることに。ここが本当にあなたの胃袋の中であることを実感して、仕切り直した気持ちにまた少し陰鬱な影が落ちました。煮えたぎる液体が熱いということもこの時に学びました。森の生活の中では熱い液体に触れる機会がないのです。
 とりあえず私はこれを胃液の湖と命名することにしました。
 それからもう一度辺りを歩き回ってみると、胃液の湖のほかにもそれよりは小さい池のようになっているところがいくつかあることに気が付きました。
 そのうちの一つに近づいてみると今度はさっきのような煮えたぎる音は聞こえません。そっと指をつけてみますが特に何ともありません。今度は本当ににただの水のようです。飲んでみると少し生臭かったのですが、ともかく私の喉の渇きは癒されました。
 他の池も確認してみると、大体の池は普通の水なのですが、時折胃液の池が混じっていてヒヤリとしました。
 生命の欲求の求めるところは満たされた訳ですが、しかしこれからどうすればいいのでしょう?
 私は外に出ることができないかと壁を登ろうとしました。しかしぬるぬるとしていてとても登れたものではありませんでした。
 どうにかして私が落ちてきたあの穴の所まで行ければ外へ出られると思ったのですが、その方法は無さそうです。
 ここであなたの胃液に溶かされるか、あるいは餓死する日を待つしかないのでしょうか?
 いやいや、焦っても状況は変わりません。幸いここでもしばらくは生きていけそうなのです。ここで過ごすうちに外へ出る方法も見つかるかもしれません。
 とりあえず今心配なのは明かりが消えてしまうことです。あの火が消えてしまったら身動きが取れません。暗闇の中を手探りで歩いていたらうっかり胃液の湖に落ちてお陀仏なんてごめんです。
 眺めていると心配はなさそうに思えましたが、念のためにあなたが食べた木の枝をくべておくことにしました。勿論食料になる葉はちゃんと別にしました。
 そんなことをしながら私はあなたのお腹の中で暇を潰すことになったのです。
 
 私は当面の生命の危機が去って少し楽観的な気持ちになっておりました。それが甘かったことはこの後すぐに分かります。
 枝を十分だと思われる量くべた後、まとめておいた葉のうえで何となくくつろいでいると、突然地面がおおきく揺れたのです。
 急な揺れにびっくりして私の毛は逆立ちます。
 最初は地震かと思いましたがここはあなたのお腹の中、そんなことは起こりません。
 この揺れはあなたが目を覚ましたということだと思いましたが、それが何を意味するかは考えるよりも早く思い知らされることになりました。
 揺れに続いて地面が傾き始めたのです。
「うわわわわわわ!」
私が座っていたところはどんどん急勾配の坂道になっていきます。
「落ちる落ちる落ちる!」
私はその時いた場所に留まろうと全速力で走るのですが、急勾配にぬるぬるした地面、少しずつ流されていきます。
 こうしている間にも地面は傾き続け、もうどこが地面でどこが壁だったのかよくわからなくなってきています。
 あまりの傾斜に私は最早元の場所に留まる努力をやめ、流れに身を任せて今まで壁だったところに足をつけました。
 私が今立っている所は今や位置的には完全に地面になろうとしていました。
 しかしまだ安心はできません。今壁になろうとしている地面だった面には胃液の湖がありました。それが滝のようにこちらに流れてこようとしていました。
あれに飲み込まれたら一貫の終わりです。私は必死になって逃げました。
胃液の湖は私から少し離れたところに勢いよく流れ落ちると、大きな音を立てて飛沫をあげました。
なんとか事なきを得たと思われたその刹那、跳ねた飛沫の一滴が頬に触れてジュッと音を立てて私の肝を冷やしたのでした。
胃液が流れ込んだところには、水蒸気のような白い靄が立ち込めています。靄のせいでよくは見えませんでしたが、そこには新しい胃液の湖ができていました。
今、ここは九十度傾いてしまったのでした。多分あなたが体を起こしたのでしょう。
命の危機を覚えた一大事でしたが、どうやら明かりは無事だったようです。
その後も地震のような揺れは続きました。あなたが歩いているのだと思われました。
それからはあなたが食べた木の枝葉が上から落下してきて生き埋めになりそうになったり、あなたが飲んだ水が滝のように落下してきて溺れかけたり混沌とした時間が続いたのでした。
私が火を守るのにどれだけの労苦をかけたかはあなたにはきっと分からないでしょう。
そうしてあなたが眠る時には再び世界が九十度傾いて大混乱なのです。

それから私は、天、といってもあなたの胃袋の天井という意味ですが、から落ちてくる葉や木の実で何とか命を繋いで生きてゆきました。
 時々私の好物のドングリが付いた枝も落ちてきました。その時は、こんな所で再びドングリにお目にかかれたと小躍りしたものです。
 水の方もやっぱり臭いは気になるのですが、ともかく生きていくことはできたのです。
 そうしてしばらくの時が経ちました。ここではお日様が見えませんが、あなたが寝て起きたらここは二回傾きます。この世界はこの時十三回ほど傾いていたので、六日くらいは経ったものと思われました。ただ、あなたに昼寝をする習慣があったらそれも正確ではないのですが。
 毎日天地が傾くあなたの胃袋は命がけのさんざんな宿と言わないわけにはいきませんでしたが、その頃には私も、天敵のいないここでの生活に少しは慣れてきており、多少ではありましたがここに親しみすら覚えてきていたのです。
ただ、やっぱり森の皆や私の家族のことは恋しいのでした。
そんな風に過ごしていた時の事です。
「うわあああああああ!?」
 天から大きな悲鳴が聞こえ、何事かと上を見上げると、何かが落ちてきます。
 それは、枝葉に混じって、(胃液の)湖のすぐ近くに落下しました。
「痛い‼」
 落ちてきたそれは少しの間うずくまっておりましたが、やがて顔を上げました。
 長い耳がぴょこんと伸びたその姿は野ウサギさんでした。
「イタタタタタタ。あれ、どこだここは?」
 そう言いながら足を前に踏み出すと、湖の液体に触れました。ジュワアッと音を立てます。
「ぎゃあ!? 熱い!?」そう叫んで後ろへ飛び退ります。
 私は近づいて行って野ウサギさんに声を掛けました。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なもんか! って、あれ、リス君じゃないか⁉ こんなところで会えるなんて! 僕は君を探しに来たんだ。もう君がいなくなってかなりになるじゃないか。森の皆が心配していたよ」
「野ウサギさん、久しぶりです。私を助けに来てくれたのですか?」
 私は期待の眼差しで問います。野ウサギさんは私の頼れる兄貴分なのでした。
 ですが野ウサギさんの耳はしなだれています。
「うっ・・・・・・。まあ、そう言いたいところなんだけれど、うっかりあの憎き巨人に食べられてしまったんだ」
 私も落胆して尻尾がしなだれるのを感じます。
「一体何があったのですか?」
 野ウサギさんは少し不服そうに応えるのです。
「それよりも、君の話を先に聞かせておくれよ。さっきも言ったけど、僕は君をを見つけるためにこんな所まで来たんだからね」
 それはそうです。私は自分のことを話すのをすっかり忘れておりました。

それから私は巨人の実在を確かめるために森の中を歩き回って北の森まで来たこと、そこで見つけた巨人を懲らしめようとしたら逆に飲み込まれてしまったこと、そしてこの場所で私がいかに無茶な状況を乗り切って来たかということなどを話しました。
「そんなことがあったのか。全く、君は僕よりもずっと体が小さいというのに僕にも思いつかないような無謀なことをしようとするのだから困るよ」
 呆れたように言う野ウサギさん。
「さあ、次は野ウサギさんの番です。お話を聞かせてください」
野ウサギさんは片耳をぴょこっと立てて話し始めます。

 ***

君が突然森からいなくなって、三日くらい経ったころだ。僕や、他の君の知り合いが、君の姿を見かけないことを流石におかしいと思い始めた。君の両親にも聞いてみたが、知らないようだ。
それで僕たちは君を探すことにしたんだ。けれど、どこを探しても君はいない。一度は肉食動物に食べられてしまったんじゃないかとも疑ったさ。
もう諦めかけていたその時、誰かが言ったんだ。『まだ、北の森を探していない』って。確かにそこは考えていなかった。だって、誰も気味悪がって入らない森だからね。それに、あの向こう側には・・・・・・まあ、それはいいや。ともかく、まだ北の森は探していなかった。それで、誰が行くかって話になったんだけど、皆怖がって行きたがらない。最初の北の森の話を出したネズミですら名乗りを上げない。
それで、僕が行くことになったというわけさ。僕だって気味悪く思わなかったわけじゃないけど、大切な友達のためだからね。
それで北の森を探し始めたわけだけど、君はやっぱり見つからない。
こんなところに長居はしたくなかったし、もう帰ろうかと思った時、とても大きな生き物が二本足で歩いているのが見えたんだ。僕はすぐに悟った。あれは僕たちの森で伝えられている悪い巨人だとね。
そして同時に、信じたくはなかったけどある可能性が頭に浮かんだんだ。もしかしたら君は、あの巨人に食べられてしまったんじゃないかって。
その考えが浮かんで、どうしようという訳でもなかったけれど、僕はその巨人を遠目に観察することにした。近くにあった手頃な気に登って、枝葉の間に隠れてアイツを眺めたんだ。
そしたらあの巨人、こっちにやってくるじゃないか! けれど、僕は動けない。だって、下手に動いて見つかったら食べられてしまうに決まっているからね。
でも、僕があそこにいたことに気付いているんじゃないかと思った時にはもう遅かった。あの巨人は僕が隠れていたところの一帯の枝を、その大きな手でつかむとバキバキと強引に木から引きちぎったんだ。
そしてその手をアイツの大きな口元へと持っていった。それでアイツは、木の枝葉ごと僕を口の中に放り込んだんだ。流石にあの時は何かわめいたような気がするけど覚えてないな。 
巨人の口に放り込まれた僕は、アイツの岩のような歯が木の枝葉をバリバリとかみ砕く音を聞いたよ。運よく僕はその餌食にはならずに済んだのだけど、あれは本当に身震いがしたね。それで、噛み砕かれた枝葉と一緒に呑まれてここに落ちて来たってわけさ
 
***

 私は野ウサギさんの話を聞いて何だかとても申し訳ない気持ちになりました。
「ごめんなさい野ウサギさん。私が好奇心で北の森に来なければあなたもこんなところにはこなくて済んだのに」
「謝らないでおくれよリス君。北の森に来たのもあの巨人を観察しようとしたのも僕が好きでやったことだ。それに、ここに来たおかげでようやく君を見つけられたんだ。こんな所で会えるとは思ってもみなかった。もうだめかと思っていたところからとんだサプライズだよ。場所は場所だけれどとにかくこうしてまた生きて会えたんだ。二人で何とか脱出する方法を考えようよ」
 野ウサギさんの耳はピンと立っています。
「さすが野ウサギさんです。私はきっと一生あなたについていきます」
 こんな所でも自信と平静を失わない野ウサギさんの姿にひどく感服した私でした。
「それにしても、憎きはあの巨人だよ! 僕達をこんな目に合わせて! ここを出たら絶対に仕返ししてやるんだから」
「けれど、まずはここから出る方法を考えないと行けません」
 私は復讐への意欲に燃えている野ウサギさんに言います。
「うん。アイツが食べた枝と葉を時間をかけて沢山集めて、そこにある火で一度に全部燃やしてこの胃袋ごと燃やしてしまったらどうかな?」
 野ウサギさんは得意そうです。
「仕返ししてやりたいのは分かりますが、そんなことをしたら私たちも黒焦げになってしまうのではありませんか?」
「・・・・・・それもそうか。じゃあ、そこにある胃液をここの壁にかけて溶かして穴を開けることは出来ないかな?」
 野ウサギさんは胃液の湖の方を指さして言います。
「うーん、木の葉に胃液を汲めば運べるかもしれません。でも、ここは巨人が寝たり起きたりするたびに壁と地面が入れ替わるんですよ。いつも壁だった側が地面になっても溶けてはいません」
 それから、葉っぱに胃液を汲んでジュウジュウと音を立てているそれを溶ける前にと急いで運んで壁にかけてみたのですが、やっぱりやっぱり無駄に終わってしまいました。
「これも駄目か。じゃあもう、僕たちでここの壁を掘って外へ出るための穴を開けるしかないかな?」
「そんなことできるでしょうか?」
 私は首を傾げて聞いてみます。
「一匹だったら無理かもしれないけど、力を合わせればきっと何とかなるさ。駄目だったら別の方法を考えればいいよ。とりあえずやってみよう」
「はい!」
 私は自分に思いつかなかったアイディアを沢山出してくれた野ウサギさんに感心していました。
 それであなたの胃の壁を掘ろうということになったわけですが、そもそもその辺の地面を掘るのとは訳が違います。そんな簡単にいくものかと思いましたが、これは杞憂でした。
 基本的にここはどの面も大体同じものでできているので、床と同じように壁もぶよぶよとしていてそれ程難くありません。
 壁の表面を覆う粘液が多少邪魔ですが、噛んだり引っ搔いたりすれば傷をつけることは出来たのです。
 また、穴を開ける場所は(これはあなたが寝ている時の位置関係を基準にしていますが)、あなたの足の方向の壁の右の隅のところにしました。そこであればあなたが寝ていても起きていても私たちが作業できる場所だからです。私たちにとっては幸いなことに、この世界は毎回まっすぐに九十度同じ方向に傾いていたのです。多分あなたはいつも仰向けで寝ていて寝相も良かったということでしょう。
 ただ、傷をつけることはできるといっても、出られるような穴を空けるとなればそうとう掘らなくてはなりません。とても気長に日の目を見られる日を待たなければいけないのでした。
 
 それから私たちはあなたの寝起きや食べた物が落下してくる度に命の危機にさらされましたが、それを耐えつつ壁を掘り進めていったのです。正直なところ生き物の胃を掘るなど気持ちの悪いものでしたが生き残るためとなっては仕方がありません。それに相手はあの巨人です。情け容赦はいらないと思ったのです。
 そうして何日か過ぎた頃です。
「あれ? リス君」
 壁を掘り進めていた野ウサギさんが私を呼びます。私はその時火に枝をくべていました。
「どうしたのですか?」
 私が問いかけると、野ウサギさんは不思議そうに答えます。
「なんだか掘っている所の様子が変わってきているんだ」
 私もそこを見て見ると、他の所より乾いているように見えました。
 私は閃いて、この前のように胃液を汲んできてそこにかけてみました。すると、ジュウと音を立ててその部分が溶けていくのです。
「やっぱり! 野ウサギさん! 胃液の消化から壁を守っていた粘液がなくなっています」
「本当だ。もしかしたら、この部分の壁が弱って来て、正常に粘液を出せなくなってきたのかもしれない」
 これによって私たちの壁を掘る作業は更に進めやすくなり、せっせと胃液の湖と掘り薄めている壁とを往来することになりました。
 現実的な脱出への道が開けたのです。
 しかし私には疑問に思い始めていることもありました。それは、いつまでたってもここには動物の死体が落ちてこないことです。ここにいて天から落下してくるのは、いつも水か木々の枝葉、木の実ばかりです。
 それはつまり、わたしがここにきてからあなたがほとんど動物を食べていないというこになるのです。
 私がここに来たのは事故のようなものでした。野ウサギさんはあなたが食べようとして飲み込んだということでしたが、それにしてももう何日も経っているのにウサギ一匹で満足するなんてあなたの体には不釣り合いです。
 私はこのことを野ウサギさんに話してみました。
「きっと調子が振るわないんだよ。誰にだってそういう時はあるじゃないか。多分動物で腹を満たせないから木の枝葉で満足してるんだよ」
 納得できるような気もしましたが、釈然としないような気もしました。
 それから、また数日経ってからのことです。
「野ウサギさん、ここにはどうして火があったんでしょうか?」
 私がここにきてからずっと不思議に思っていたことですが、何となく聞いてみたくなったのです。
野ウサギさんは耳をふらふらとさせながら答えます。
「僕にもよくは分からないな。でも、もしかしたら人間が持っていたものだったのかも。人間は火を使うって、前に聞いたことがある」
「じゃあ、この巨人は人間と遭遇したのでしょうか?」
 野ウサギさんはうなずきます。
「そうかもしれない。君は知らないかもしれないけれど、この北の森の向こう側には、人間が住んでいる土地があるんだ。この森に動物があまり近寄らないのは不気だからっていうのもあるんだけど、人間に遭遇したくないからっていうのもあるんだ。だから、北の森に住んでるコイツが人間に出会うはあり得るかもしれない」
 そんなことは知りませんでした。私は何となく今も燃えている火の方を見ます。今は最初にここに来た時にあった棒はもう燃え尽きて、私たちがくべた枝が燃えています。
「そういえば、人間が火を使う話を僕が聞いたのが、もう亡くなった年老いた鹿からだったんだけど、彼は確かこの巨人に会ったことがあるって言ってたな」
 以前に巨人を見た者の話は聞いたことが無かったものですから、私は興味を持ちました。

***

老鹿が若い時のことだ。
なんでも彼は、仲間の鹿たちと勇気を試す肝試しをしようということになって、北の森に入ったそうだ。ちゃんと森に入ったか確かめるために、北の森にしかない木の実を取って来るというお題付きでね。
それで、森に入った彼は木の実を見つけることは出来たのだけど、帰り道が分からなくなってしまったらしい。陽も落ちてきて途方に暮れていた時に、前の方から歩いてくる巨人に鉢合わせてしまったそうだ。
恐ろしくなった彼は、巨人に向かってこう叫んだらしい。
『私の持っているこの木の実は差し上げます。だからどうか私を食べないでください』と、背中に乗せた木の実が付いた枝を見せながらね。
すると巨人は、肉食動物のような低い唸り声を挙げて、そのままずしずしと足音を立てながらどこかへ行ってしまったらしい。

***

「そんなことがあったのですか」
「うん。あれ程恐ろしかったことは無かったと言ってたよ。それから彼は北の森には二度と入らなかったって」
「でも、折角くれるというのにどうして木の実をもらっていかなかったのでしょう?」
「さあ? お腹いっぱいだったんじゃないの? 老鹿も助かってるし。それかもしかしたら、僕たちの言葉は通じないのかもね。そろそろ作業に戻ろう。」
 私たちはその後、いつものように胃液運びに励み、巨人が眠りについて世界が傾くのを待って眠りにつきました。
 その日も動物の死体がここに落ちてくることはありませんでした。

 大事件が起きたのは、その次の日のことです。私たちがここに落ち来た葉や木の実を食べて食事をしていると、突然大きな唸り声が聞こえたのです。
それは、私が最初にあなたを見つけた時に聞いたあの轟轟と響くいびきよりも大きな音でした。最初は野ウサギさんのようのいまた誰かがここに落ちて来ようとしているのかと思いそうになりましたが、声の大きさからしてすぐにあなたのものだろうと分かりました。
「何だ何だ!?」
「一体どうしたのでしょう?」
 私がそんな風に困惑するのもつかの間、唸り声に加えて大きな揺れが加わり、会話どころではなくなってきました。あなたが活動している時にはいつも少し揺れているのですが、この時のはそれとは比べものにならない揺れようでした。かといってあなたが寝る時のように九十度完全に傾くわけでもなく、大地震のようにゆらゆらと揺れているのです。
「わああああああ!?」
 私たちは胃の粘膜ですべりやすい地面の上をあっちへ流されたりこっちへ流されたりとにかく大変な有様でした。
それにうっかり胃液の湖に落ちないように気を付けなければなりません。更に胃液の湖は揺れによって波立ち時折こちらに向かって飛沫が跳ねてくるのでそれも恐れなければならないといった始末でした。
 轟く唸り声は鳴りやみません。
「一体・・・・・・何が・・・・・・・起きて・・・・・・!?」
 野ウサギさんが必死に叫んでいますが最後まで言えずに途切れてしまいます。
「あ‼」
 私がそう叫んだのも時すでに遅し、大切に守っていた火のついた枝の群が胃液の湖の方へと流されてきます。
 そして、ぼちゃんと音を立ててその中へと落ちると辺りは完全な暗闇に包まれたのです。
 しかし周囲の混乱が消える訳ではありません。相変わらず唸り声は私たちの耳を悩ませ、揺れは私たちの体を引きずりまわしています。そして暗くなった今胃液の湖にどぼんでお陀仏の危機が迫っているのでした。
「周りが・・・・・・見えな・・・・・・わあ!」
 私は壁に激突しました。
それでも胃液の湖に落ちなかっただけまだましでした。
ここは最早世界の終わりさえ想起されるようなそんな大混乱の中にありました。
もうだめかと思われたその時、天からいくつかの光が降り注ぎました。
それが現れた時、私には救いの光のように思えたのでず。
そのうちのいくつかはどぼんと音を立てて湖におちて消えました。しかしそうならなかったいくつかは地面に落下してこの狭い世界を仄かに照らしています。
まるでそれを合図にするかのように揺れは引いていきました。唸り声もひと際大きなものが一つ聞こえるとそれっきり聞こえなくなりました。
しばらくは身構えていますが、何も起こる気配はありません。どうやら私たちは助かったようでした。
「一体今のは何だったのでしょう?」
 私がまだ少しふらふらしながら言います。
「上から火のついた棒が落ちて来たということは、多分人間がいたんじゃないかな?」
野ウサギさんも座り込んでいます。
「人間と遭遇して争いになったのでしょうか?」
「そうかもしれない」
「どっちが勝ったのでしょう?」
「ここは何ともないようだから、きっとコイツが勝ったんだよ」
 その口ぶりは少し忌々しそうで、それでいてほっとしているようでもありました。
「それでは人間は巨人に殺されたのでしょうか?」
 私は恐る恐る聞いてみます。
「どうかな? でも、火が落ちてきてすぐに静かになったから、人間は逃げたんじゃないかな? 少なくとも巨人がこの火を奪って飲み込む直前までは人間は火を持って生きてたはずだし、その後すぐ揺れは収まったから、手荒なことはしてないことになる」
 それを聞いて、私は不思議に思いました。
「・・・・・・そうですか。巨人はどうして人間を食べてしまわなかったのでしょう? 明かりを奪えるくらいなら、一緒に人間も口の中に放り込んでしまえるでしょうに」
「どうしてって・・・・・・きっとお腹が空いていなかったんだよ。老鹿の時と同じでさ。それにしても、本当になんとかなってよかったよ。明かりが消えた時はもうだめかと思った」
 野ウサギさんはこんな風に言いましたが、やっぱり私にはどうも納得できない所がありました。

 その日の晩(といっても本当に夜かどうかは分かりませんが)私はこの日の事や今まで不思議に思っていたことについて考えてみました。
 なぜここに動物の死体が落ちてくることはないのか? 私がここに来た時燃えていた火。野ウサギさんがあなたに呑まれたときのこと。老鹿さんがあなたに遭遇したときのこと。そして今回、人間を逃がしたと思われるのはなぜなのか?
 これらが何を意味しているのか、まだ私にはっきりとしたことは言えません。
しかし、一つ分かる事があります。ここまでの事を総合して考えると、どうしてもあなたが動物を食べる生き物のようには思えないのです。
老鹿さんも人間もあなたに食べられることはありませんでした。そしてここに落ちてくるのは植物と水ばかり。
それに、今思い出すとあなたの体は確かに不潔でしたが、あなたの顔によじ登った時に血のような臭いも生臭い臭いもしなかったのです。動物の肉を食べる生き物であれば多少なりともそういう臭いを漂わせているものではないでしょうか?
野ウサギさんの話では、あなたは野うさぎさんを食べようとしていたようにも思えますが、ですが実際にはあなたは野ウサギさんがいた所の木の枝葉を食べようとしていたのではないでしょうか?
そちらの方が自然だし、今までのことと辻褄が合います。
こうした可能性から、私には考えなければならないことがあるのに気づきます。
私たちの森で言い伝えられていた伝説は、本当に正しいのか? ということです。
森の動物たちを食べるという伝承は、どうやら間違っていそうです。だったらそもそもあなたが本当に悪い存在なのか? この森や動物たちにとって害となる存在なのか? そこから考え直さなければいけないのかもしれません。
ああ! そこまでの可能性を考えて、私はとても恐ろしい気持ちになりました。だって、自分が今まで当たり前のように信じていたことが、当然の事実として教えられていたことが、もしかしたら真実ではなかったかもしれないのです。
それは受け入れ難く、森の皆の今までの態度を否定し、私がやろうとしたことを否定し、そして、(これが最も恐ろしいのですが)私たちがこの時やろうとしていることを否定するものかもしれないのです。
私たちがこの時やろうとしていること、それはもちろんあなたの胃の壁を溶かして外への出口を作る事です。
外へ出ようとすること自体は問題ではありませんが、その過程であなたのお腹に穴を空けなければなりません。
もしかしたらあなたは死んでしまうかもしれません。
これまではそんなこと全く気に留めていませんでした。だって、あなたは伝説の悪しき巨人だったはずなのですから。
しかし、その事実すら怪しくなってきたこの時となっては、私たちは何かとても罪深いことをやっているのではないかという気持ちになったのです。
もし伝説が間違っていたとしたら、私は必要のない制裁を加えにあなたの元へとやってきて、ちょっとした拍子に勝手に食べられて、そしてそんな自業自得の結果をあなたのお腹に穴を空けて何とかしようとしていることになるのですから。
こんな事実、目を瞑ってしまうことは簡単です。私が何も言わなければあなたへの復讐へ燃える野ウサギさんは何も気づくことはないでしょう。
それどころか、脱出を成功させてなお結果としてあなたが死ぬことになったら、森の動物たちには英雄として扱われることはあっても非難されることはないはずです。もしかしたら私があなたを探しに行ったことも勇気ある行動として称えられるかもしれません。
気付いてしまったことを伝えるか、それとも闇に葬ってしまうか、私はどうすればいいのでしょう?

次の日も胃液運びの作業は続けられました。少しずつですが、私たちが毎日あなたの胃液をかけている箇所はへこんできています。まだ穴を空けるには大分時間がかかりそうではありましたがやっぱり噛んだり引っ掻いたりで掘るよりは大分手間が省けそうな様子でした。
 私たちは互いに休憩しながら交代で胃液を掬って運んでいました。
 しかし、前日気づいてしまったことが私の足を重くします。
「どうしたんだいリス君? 体調でも悪いのかい?」
「いえ、大丈夫です。何でもありません」
「でも、ここはお日様もないし、森の中とは全然違う環境だから、僕たちの体にはあまりよくないはずだよ。体には気を付けないとね」
 野ウサギさんにも心配されてしまう始末です。
 そして実際のところ、私はいつもの作業を進めることはできませんでした。胃液を掬い出して掘っている箇所へ運ぶ所まではいつもの通りやったのですが、段々と深さを増してゆくその傷に再び胃液をかけることがどうにもためらわれるのです。
 その傷は段々と深さを増してゆく私自身の罪のように思われました。何も悪いことはしていないのかもしれないあなたを傷つけているという痛ましい実感を与えるのです。
 結局私は、その場所に胃液をかけることが出来ず、少しそれて胃液から身を守る粘液が正常に働いているところへ捨てて、あたかもいつも通り作業しているように誤魔化したのです。
 けれどこんなのはただの言い訳です。私はただ自分の罪を感じたくなくて言い逃れをする術を探しているなのです。後でもし後悔した時、あるいは何かが発覚した時に、私はやってない、そう思えるように。私は悪くない、そう自分のことを誤魔化せるように。
 それでいて、巨人から森を救った英雄と呼ばれたいような願望なも未だ持ち合わせているのです。これは私があなたを探し始めた時から持っていた夢のようなもので、この場になっても意識してしまうくらい私には根深い願望でした。
 そしてそれは、黙っていれば野ウサギさんの働きによって遅かれ早かれ完遂されようとしていました。
 英雄的なものへの憧れを持っていたはずの私は、臆病なことに結局どっちつかずの選択しかできなかったのでした。
 しかしそれからしばらくして、野ウサギさんに私が気づいたことを話す機会がやってきます。
 
 この日から数日経った時のことです。
 私はそんなに思いつめた顔をしていたのか野ウサギさんが聞いてきたのです。
「どうしたんだいリス君? 最近元気がないじゃないか?」
 心配そうに聞いてくれるのですが、私は答えます。
「いいえ、何でもないのです」
「そんなことはないだろう。最近の君はどう見ても様子がおかしい。君と僕とは長い付き合いだろう? 何か思いつめていることがあるのなら話してごらんよ」
 野ウサギさんの言葉に、私はまだ少しためらっていましたが、この様子じゃどちらにしろ隠し通すことはできないと思い、話すことにしました。
 そして私は、野ウサギさんにこれまで気づいたこと、実は巨人は動物を食べないのではないか、伝説は本当に正しいのか、そして、私たちのやっていることは本当に正しいのだろうかという疑問、それらを話したのです。
「・・・・・・リス君、きっと君は少し疲れているんだよ。ずっと伝えられてきたことが間違っているはずないじゃないか。大体、実際に僕たちは食べられてしまってここにいるんだよ? 自分を食べた奴の事なんか気にしてどうするのさ? それに、伝説が真実にしたって偽物にしたって、ここから出られなければ全てが闇に埋もれてしまうのは事実なんだから」
 野ウサギさんの言っていることも、確かに一理あると思いました。
「君は少し休んだらどうかな? きっと気が弱くなっているからそういう考えが思い浮かぶんだよ」
「そうですね・・・・・・。はい」
 私は休ませてもらうことにしました。野ウサギさんの言っていることは、確かにそうかもしれないとは思います。しかし、私はそれでいてなお、疑問を忘れてすっきりとした気持ちになることはできませんでした。私の中で私自身を間違っていると非難する声は依然として鳴りやまないのです。
けれどあの様子では野ウサギさんが私の意見に耳を貸してくれることはないでしょう。
何より野ウサギさんは自分が食べられたことに、そしてもしかしたら私が食べられたことに対しても、あなたに対してひどく腹を立てているのです。
野ウサギさんが言った通り私たちは長い付き合いですから、そう思えるくらいは野ウサギさんを信頼しているのです。
今、私には決断しなければならない時がきているのかもしれない。私はそう思いました。
野ウサギさんの言う事を信じるのか、私が正しいと思うことをするのか。
私は決めなければなりません。
けれどやっぱりそう簡単に決められるものではありません。私は野ウサギさんが黙々と作業を続けているのを眺めながら二つの選択肢の間を揺れていました。
ふと、私が最初にここに来た頃のことを思い出しました。
私は一人でこんな誰もいない、見たこともない、というか見たことがあるはずもない世界にやってきてとても心許なく思ったのを覚えています。
もしかしたら二度とここから出られないかもしれない。そう思って孤独な世界にいることを寂しく思いもしました。
そして野ウサギさんが来てくれた時にはとても心強く思ったものです。
けれどそれは、あなたも同じなのかもしれません。
伝説だけを信じていたら思いも寄らなかったことです。
あなたは私たちのような森の動物に恐れられ、人間たちとも争い、誰とも一緒でないのです。
森を探し回った時に、私も野ウサギさんも他の巨人に遭遇することはなかったのですから、きっとここにあなたの仲間がいるということもないのだと思います。
あなたはきっと、この世界で一人ぼっちで生きているのでしょう。
それは、私のようにここに落ちた一時だけの孤独なのではなくて、生まれた時からずっとのものなのかもしれません。
私や野ウサギさんには帰るべきところがあって、待ってくれている者がいる。実際に野ウサギさんは私を探してここまで来てくれました。
けれど、あなたにはそれがない。あなたはきっと孤独の中で生きていたのだと思います。
そしてそれは、伝説が本物だとしても偽物だとしても変わることのない事実です。
だったら、そうであるなら、私一匹くらいはあなたの味方になってもいいのではないでしょうか? 私一匹くらいはあなたの孤独を癒す存在となってもいいのではないでしょうか?
私はそう思ったのです。
 私は決めました。
ああ、ごめんなさい野ウサギさん。私は一生あなたについていくと言ったのに、早くも自分で言ったその言葉を破ることになりそうです。
けれど、私は自分の心が正しいと思うものを無視することはできません。たとえ野ウサギさんと道を違うことになっても、私は自分が信じたことのために動きたいと思ったのです。
覚悟は決まりました。後悔はしません。

そのつぎの日は、私も野ウサギさんと一緒にいつもの作業をしました。
けれどそれまでと同じで実際には胃液を掘っている箇所にはかけていません。
私は野ウサギさんに言いました。
「野ウサギさん、枝葉を一か所に集めませんか?」
「どうしてだい?」
野ウサギさんは不思議そうに聞きます。
「放っておくと、巨人が寝起きした時に流れて胃液の湖に落ちてしまうものがあります。一か所に集めて置いた方が管理しやすいはずです」
「確かにそれは名案だ。どこに集めようか?」
野ウサギさんが感心した様子で言うのに対して私は壁の一方を指して答えます。
「あそこにしましょう」
 そこは、あなたが寝る時に丁度あなたの口からここへと繋がる穴の真下になるように位置する場所でした。
 それから私たちは胃液運びと同時に落ちてくる枝葉を一か所に集める作業を行うようになりました。
 日をかけて段々と枝葉は溜まり山のようになってゆきます。胃液運びで壁を溶かす作業は私が実際には胃液をかけていなかったのと枝葉の移動に時間が割かれてあまり進んでいませんでした。
 それから更に数日をかけて枝葉はあなたが寝ている時であれば、いつも食べ物が落ちてくるあの穴にも届くようになりました。
 しかしまだ足りません。
 もう少しの日数をかけて枝葉が十分と思われるくらいにたまった時、私はそれを決行することにしました。
 
あるあなたが寝ている時刻、私は寝ている野ウサギさんを起こして呼びかけました。
「野ウサギさん。いい方法を思いついたのです。こっちへ来て下さい」
そう言って野ウサギさんを枝葉の山に連れていきます。そして、それを登って穴のところまで行きます。
しかし、穴はこちら側へ下るような坂道になっており、ぬるぬるとした粘液に覆われていてすべるためそこからあなたの口まで登って行って脱出するのは困難だと思われました。
そして私は穴の中に周囲の枝葉を押し込んでいきます。
「一体何をやっているんだい?」
野ウサギさんはまだ寝ぼけている口調です。
「この穴にここにある大量の枝葉を詰め込んだらこの巨人の喉を詰まらせて窒息させることが出来のではないかと思ったのです。野ウサギさんも手伝ってください」
「分かった!」
野ウサギさんは二つ返事で承諾しました。
それからはひたすら二匹で枝葉を詰めていきました。
けれどもちろん枝葉を詰める本当の目的は窒息死させることではありません。
そして穴がかなりぎゅうぎゅうになってきた頃、地面が揺れ始めました。
揺れは段々激しくなり、胃液の湖も波立っています。
「ほら、巨人も苦しんでいるようです。もっと詰めましょう!」
「でもこれ、大丈夫かな?」
 野ウサギさんは激しくなる揺れに少し心配そうです。
「この巨人が窒息死したらどの道揺れは収まります」
 そう言って私が構わず続けるので野ウサギさんもそれに続きます。
 そして胃液の湖がバシャバシャと跳ねるくらいに揺れが激しくなった時、突然世界は傾いて穴のあった面が下になりました。そして揺れ向きが縦になりました。
 きっとあなたが喉に詰まった物を吐き出そうとしているのです。これこそ私が待っていた瞬間です。
山のようになっていた枝葉も胃液の湖も水たまりも、穴が下になったことで全てがこの穴に向かって収束してゆきます。野ウサギさんは予想外の事態におろおろしていますが、胃液の湖が迫っています。
 私は後ろから野ウサギさんの背中を思いきり押します。
「うわ!」
 野ウサギさんは穴の中へと落ちてゆきます。
 私も穴に入ろうとしたのですが、胃液の湖はもうすぐそこです。今入ったらあなたに吐き出される頃には胃液塗れでどろどろに溶けてしまうことでしょう。
私はその穴から遠ざかろうと逃げながら、聞こえるかどうかは分かりませんでしたが大声で野ウサギさんへ呼びかけます。
「私もきっと後から行きます! だから決して戻っては来ないでください!」
 言い終えたその時、穴に吸い込まれてゆく時に跳ねた一塊の胃液が私の左足にかかりました。
「あっ!」
私の左足はジュウジュウと音を立ててただれていきます。しかし今は気にしていられません。できるだけ穴から離れないと、また胃液が飛んでこないとも限りません。
 私は片足を引きずりながらもできるだけの速度で遠ざかりました。
 幸いそれ以上胃液が飛んでくることはありませんでした。
 こうして、私以外の全ては外の世界へと吐き出されていったのです。

 それからの私の生活は今まで以上に命がけなものなりました。
 まず、あなたが全てを吐き出したときに火も消えてしまっていたので私は暗闇で過ごさなければなりませんでした。
 胃液の湖はすぐに回復したのでそこに落ちる危険は大きなものでした。しかし、近くでは煮えたぎるような音と熱気がするので何とか避けることはできました。
 食料も臭いで居場所を確認しました。
 しばらく経って暗闇での生活にも慣れてくると、始め思っていたよりは苦でもないかもしれないと思えるようになりました。
 それから、この後にも何度かあなたが人間と争っているのだと思われる出来事が起こりました。
 上から火が落ちてくることもあったし、落ちてこないこともありました。
 明かりが見れた時には懐かしく思いましたが、今の私のただれた足ではあまり動けず、火を維持することはできませんでした。
 だから今の生活はほとんど暗闇の中です。
 
 
 そうして、私は今この時に至るのです。
 あれから、ここを出る方法を色々と考えてみて、いくつかは試しても見たのですが、私のこの足ではどれも成功させることはできませんでした。
 どうやら私はもうここから出ることはできないようです。
 野ウサギさんが再びやって来ることも期待はしていません。それに、もしやってきたら彼はまたあなたへの仕返しを考えるでしょう。そうならないようにここへ戻ってこないように言ったのです。
 そういえば、これだけここで過ごして、ようやく今まで不思議に思っていたことの全てが分かった気がします。
 あなたはきっと、この森の番人なのだと思います。何度も人間と争ったのは、北の森の向こうからやって来る人間たちをその反対側の私たちの住む森にいれないためなのでしょう?
 人間は時として自分たちの利益のために森を荒らす存在です。私たち自然に生きる動物は彼らが自分たちの住む森に入って来ることを嫌います。
 だから、あなたはきっと北の森で人間がこちら側に入って来ることを防いでいたのだと思います。
 そうでなければ、わざわざ暗い北の森に住む必要なんてないのではないでしょうか?
 食べるのでも殺すのでもなく、ただ明かりを奪って追い返していたのは、あなたが誇りの高い番人だったからだと思います。
私たちは、あなたを世代を超えて恐れ、遠ざけていたにも関わらず、同時にあなたに守られていたのです。
あなたのお陰で私たちの暮らしは保たれているのかもしれないのに、私はあなたを傷つけようとしてしまいました。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
私達は・・・・・・私は、あなたに何てひどいことをしてしまったのでしょう。
 謝っても謝り切れません。
 そしてありがとう。これまで私たちの森を守ってくれて。
私は足を怪我してから、段々と衰弱していきました。ここはお日様もないし、狭いし、空気も違う、自然の環境とは全然違います。そこに怪我まで加わったら弱っていくのは当然です。
そして本当の所を言えば、私の命はもう尽きようとしているのです。
けれど、後悔はしていません。私は自分が正しいと思うことをして、そのうえで生きるための精一杯の努力をして、その結果として今があるのだから、悔いはありません。
ただ、心残りはあります。
私は伝えたかった。
私はあなたに、あなたを嫌っていない者がいることを伝えたかった。
あなたに謝りたい者がいることを伝えたかった。
あなたの頑張りを知っているものがいることを伝えたかった。
あなたに感謝をしている者がいることを伝えたかった。
そして、あなたが孤独ではないということを伝えたかった。
もし、私もここを出て、あなたの友となることができたらどんなに良かったでしょう。
あなたと共に森を守ることができたらどんなに良かったでしょう。
そうして、あなたが本当は伝説にあるような悪い巨人ではないことを森の皆に伝えられたらどんなに良かったでしょう。
それができなくても、せめて、私だけはあなたの本当の姿を知っていると伝えたかった。
けれど、もうそれはかないません。だからこれは、私の心の中の長い独り言に過ぎません。でも、それでも心の中で綴らずにはいられないのです。あなたに伝えたいことを。
あなたは知らなくても、私はあなたの優しさを知っているのです。
最後に、あなたに願いたいことがあります。
私は本当ならもっと長く生きられたはずです。本当ならもっと友達と楽しい時間を過ごして、いずれは家庭を持って幸せに過ごしていたはずです。
だから、勝手に飲み込まれて勝手に死んでゆくものが願うにはおこがましいことだとは分かっているのですが、それでも願います。
どうか自由に生きてください。
あなたが不潔な体をしていたのはどうしてなのでしょう?
川で体を洗えばそんなものすぐに落とせたでしょうに。他の動物たちにとって迷惑になると、川の水を汚すことを憚ったのですか?
森を守っていることもそうです。どんな経緯であなたが人間から森を守るようになったのかは知りませんが、それはあなたが本当にやりたいことですか? あなたにとって周りの動物たちに嫌われて、それでもそこに留まってやり続ける価値のあることなのでしょうか? あなたにとってそれが大事なことなら私はそれを応援します。けれど、もしそうでないのなら私はあなたにそんなことを続けてほしくはありません。
だから、どうか私の分まで、自由に生きてください。
死ぬことは怖いですが、私は孤独ではありません。あなたがいます。たとえあなたが私のことに気付いていなかったとしても、あなたはこの真っ暗闇の世界の中で、私の孤独を癒すことができる存在なのです。
あなたのことを知ることができて幸せでした。
さようなら、私だけが知っている、心優しい守人。

***

森の番人はその時、泣いた。何か直感のようなものが働いて、あるいはいつもよりも不思議と体に力が入るのを感じて、自分が動物を食べたということを悟った。
 森の番人は泣いた。食べないと決めていたはずの動物を食べたことを知ってしまって、それが悲しくて泣いた。
 森の番人は泣いた。泣き続けた。
 
 その涙は、いつしか泉となって森を潤した。その泉の水は透き通るように美しく、枯れることは無かった。泉はその森にいつまでも恵を与え続けたという。













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